つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「逆学歴コンプレックス」なるもの

 「京大生」ってだけで、すごいと言われることもあるけど、

実際のところ「勉強できてすごい」と鼻にかける人は少なくて、

「勉強しかできない」という卑屈さを持っている人も多い気がする。

 

と、いうより僕がそうだった。多いかどうかはわからない。

 

 

「真面目に我慢して勉強してきた」とか、

「勉強が楽しかったから」とか、

というよりは、

「勉強しないと不安だった」とか、

「勉強するのは当たり前だと思っていた」とか、

「友達つくるの下手だったから、勉強しかすることなかった」とか、

高校までの勉強を終えてみていま考えると、

そのモチベーションが褒められるような動機じゃないことが多かったりする。

100%自分の意思で勉強してきたわけじゃないのだ。

 

 

だから、そういう人にしてみたら、

「勉強ができる人」よりも、

「自分の好きなことをしてきた人」の方が羨ましかったりする。

自分の意思で、自分のすることを決めてきた人だから。

 

「京大生なんだ、すごいね」って言われた瞬間に、

「勉強できるからすごい人なんだ」と言われた気になって、

「勉強以外の自分の面も見てほしい」と、ともすればブルーな気持ちになるときもある。

100%自分の意思でしてきたことではないことを褒められても、手放しで喜べるものではない。

それでありながら、心の中では「どうせ自分は勉強しかできない」と思っているからタチが悪い。

他にこれといって自分でしてきたこともなく、そう思うより他ないのだ。

 

「面倒なやつだな」と思われても仕方ないが、1年前の僕もそうだった。

だから、自己紹介で大学名を言うのが嫌だった。

そういうレッテルが貼られるのが、嫌だから。

まあ、結局は自意識過剰で、そんなこと他の人からしたらどうでもいいんだけど、

そのときはそう思っていたのだからしかたない。

 

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自分もそうだった節はあるから、そこから脱却する方法も少しはわかる。

それは、

「誰かに勉強以外のことで認めてもらうこと。そして、認めてもらったことを素直に認めること

 

前半は当たり前のようだけれど、意外と大事なのは後半だと思っている。

いかに卑屈精神を抜くか。卑屈とは、素直じゃないこと。何もかも捻じ曲げて思考すること。

「自分」という人間に向き合ってくれて、素直に相手の言っていることを受け止める。

そんな心構えが大事なのだと思う。

 

「自分に勉強以外で、他から認めてもらえるものなんてない」と思っている人には、

「それ、予防線張ってない?」と言いたい。

人から勉強以外で評価されないのが怖くて、人の判断が下される前に、

「僕、勉強以外やってこなかったんで」っていう逆・手前味噌。

 

よければ、0:56~1:08の歌詞を聞いてみてほしい。

そういう状態だと思う。

 


有心論 RADWIMPS MV

 

あとは、「勉強しかしてこなかった」という人へ、

勉強、もとい「学問」って素晴らしいもの。

と、思えるものがあるので、紹介しようと思ったけれど、

今回は長くなったので、また次回に。

 

つばさ

tsubasakato.blog@gmail.com