「逆学歴コンプレックス」なるもの
「京大生」ってだけで、すごいと言われることもあるけど、
実際のところ「勉強できてすごい」と鼻にかける人は少なくて、
「勉強しかできない」という卑屈さを持っている人も多い気がする。
と、いうより僕がそうだった。多いかどうかはわからない。
「真面目に我慢して勉強してきた」とか、
「勉強が楽しかったから」とか、
というよりは、
「勉強しないと不安だった」とか、
「勉強するのは当たり前だと思っていた」とか、
「友達つくるの下手だったから、勉強しかすることなかった」とか、
高校までの勉強を終えてみていま考えると、
そのモチベーションが褒められるような動機じゃないことが多かったりする。
100%自分の意思で勉強してきたわけじゃないのだ。
だから、そういう人にしてみたら、
「勉強ができる人」よりも、
「自分の好きなことをしてきた人」の方が羨ましかったりする。
自分の意思で、自分のすることを決めてきた人だから。
「京大生なんだ、すごいね」って言われた瞬間に、
「勉強できるからすごい人なんだ」と言われた気になって、
「勉強以外の自分の面も見てほしい」と、ともすればブルーな気持ちになるときもある。
100%自分の意思でしてきたことではないことを褒められても、手放しで喜べるものではない。
それでありながら、心の中では「どうせ自分は勉強しかできない」と思っているからタチが悪い。
他にこれといって自分でしてきたこともなく、そう思うより他ないのだ。
「面倒なやつだな」と思われても仕方ないが、1年前の僕もそうだった。
だから、自己紹介で大学名を言うのが嫌だった。
そういうレッテルが貼られるのが、嫌だから。
まあ、結局は自意識過剰で、そんなこと他の人からしたらどうでもいいんだけど、
そのときはそう思っていたのだからしかたない。
自分もそうだった節はあるから、そこから脱却する方法も少しはわかる。
それは、
「誰かに勉強以外のことで認めてもらうこと。そして、認めてもらったことを素直に認めること」
前半は当たり前のようだけれど、意外と大事なのは後半だと思っている。
いかに卑屈精神を抜くか。卑屈とは、素直じゃないこと。何もかも捻じ曲げて思考すること。
「自分」という人間に向き合ってくれて、素直に相手の言っていることを受け止める。
そんな心構えが大事なのだと思う。
「自分に勉強以外で、他から認めてもらえるものなんてない」と思っている人には、
「それ、予防線張ってない?」と言いたい。
人から勉強以外で評価されないのが怖くて、人の判断が下される前に、
「僕、勉強以外やってこなかったんで」っていう逆・手前味噌。
よければ、0:56~1:08の歌詞を聞いてみてほしい。
そういう状態だと思う。
あとは、「勉強しかしてこなかった」という人へ、
勉強、もとい「学問」って素晴らしいもの。
と、思えるものがあるので、紹介しようと思ったけれど、
今回は長くなったので、また次回に。
つばさ
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