つばさの軌跡

京都大学5回生。「むらづくり」「生態系づくり」をする仲間を求め、いま思うことを発信する。ブログのテーマは「誰かと心を通わすこと」

「農業」と「農」は違うもの

「農業に興味あるんです」

 

と、いう同世代によく会う。というか、僕がそうだった。

だから、よく会うんだろう。

 

けれど、それは正確な表現じゃないと気づいた。

 

僕は「農」に興味がある。

「農業」には、そこまで興味がない。

 

「農業」と「農」、その違いはなにか。

辞書の定義なんかは置いておいて、僕のイメージで話します。

 

「農業」と「農」の違いとは

「農業」とは、産業だ。

産業とは、余剰生産を生み出し、商品・サービスの交換をする活動であり、

その根本には、売買と利益があるイメージだ。

 

産業:人間生活に必要な商品・サービスの生産・提供を行うためのさまざまな経済活動。

大辞林 第3版、松村明編集、三省堂

 

一方で「農」とは、もっと漠然とした意味合い。

それは、暮らしであり、心構えであり、生き方だ。

土のなかで生きている人、生き物と向き合って生きている人、自然といっしょに生きている人。

そんな人を見て、僕は「農」的だと感じる。

 

「農業」は、仕事っぽく、行動的で、実際にある感覚。

「農」は、精神的で、目には見えない感覚。

「農業的な暮らし」とは言わないが、「農的な暮らし」とは言うのは、そんな感覚からなのかな。

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農的な風景、と呼べるものだろうか。

 

じゃあ、農家さんはどっちなのかと聞かれると、農家さんはどっちもだと思う。

仕事として、生活の糧としての「農業」をしながら、

「農」的な感覚で、生き物と向き合っている。

仕事として「農業」をしているからと言って、「農」が消えるわけじゃない。

それはどちらかではないし、むしろお互いを強め合うこともあるかもしれない。

 

でも逆に、野菜工場とかになると、また違うのかなと思う。

野菜をつくっていても、それは土のなかにいないし、

生き物っていう感覚はなさそうだし、自然といっしょに生きているわけじゃない。

だから、そこまでいくと、

「農業」ではあるかもしれないけれど、「農」的だとは思わない。

 

若者の言う「農業」とは

僕が言っていた「農業に興味がある」っていうのは、実際のところ「農業」じゃなかった。

それは、仕事として「農業」を選択できるほど覚悟は決まってないし、

自分の頭のなかでは、それで生計を立てている姿を想像してない。

むしろイメージしてるのは、古民家と庭にある畑。

そして爽やかな日差しのなかで、土をいじる自分だけだ。

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上着脱いだら、全身ねずみ色だったなぁ、このとき。福島県で、大根の種まき。

 

だから、正確に言うならば、

農業に興味があるんじゃなく、「農的な暮らし」に興味があるんだ。

 

「農業」をしている人に対して、

「僕、農業に興味あるんです」と言うときの、なんとも言えない自信の持てなさ、

「え、お前、本気で言ってる?」と訴えてそうなあの目、あの顔。

 

そう考えると、それはある意味当然のことな気がする。

自分の気持ちを、正確に表現できてないのだから、しかたないのかもしれない。

 

これからの「農業」のあり方

そう考えると、いわゆる「農業政策」のあり方も変わるかもしれない。

もしいまの若者たちが、僕と同じように、仕事としての「農業」じゃなく、

暮らしとしての「農」に興味があるんだとしたら、

行政がやるべき政策は、農業体験からの移住促進なんかではなく、

その地域で、いかに自然と密接に結びついた暮らしができるのか。

そのあたりを押し出していくのが、いいんじゃないのかなぁ。

 

でも、そうなると、

仕事としての「農業」は、利益とか定量的に測れる一面も持っているけど、

暮らしとしての「農」は、現場にいないと感じることのできないものだから、

暮らしたこともない人々には、できないことなのだろうか。

 

 

うーん、最後のあたりは難しい。

また考え直そう。どなたでも、ご意見、お待ちしてます。

 

つばさ

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