つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

自分らしく生きずになにかを残したとしても、僕は満足できないと思う

前回、「自分らしく生きる覚悟」について書きました(↓)

tsubasakato.hatenablog.com

 

 

今回は、その続き。

 

いつかは死ぬのに、なぜ生きるのか。

自分が死んでも、世界は変わらずに続くだろうに。

なぜこんなにも頑張るのか。

 

それは、多くのひとは、何かを残したいからだと思う。

というか、僕がそうだ。

 

自分が死んでも、自分を思ってくれる人がほしい。

自分という存在に意味があったと思いたい。

世界に影響を与えたと思いたい。

そんなことも思う。

 

だから、いままでは、「自分の存在証明」みたいな欲求が強かった。

有名になりたかったし、すごいねと言われたかった。

けれど、いまはそれよりも強い欲求が出てきた。

 

それは、「自分らしく生きたい」ということ。

 

 

胸を張って、名を残す 

何かを残した場合、それによって自分の名前が、自分が死んだ後も語り継がれる。

それはいいことのように思えるけど、

もし、それが自分のしたいことではなくて、結果が残っていたら。名前が残っていたら。

それは胸を張って、誇れるようなものだろうか。

 

おそらくそんなことは絶対なくて、

総理大臣「加藤翼」も、名医「加藤翼」も、起業家「加藤翼」も、

僕はいまはなりたいと思えない。

だからこそ僕は、いま心が思うことに、心が感じることに純粋に生きていきたいと思う。

 

名前を残せないことは、残念なことだ。

ただ、自分らしくない名前が残ることは、それと同じくらい残念なことだと感じた。

 

だから、まず、自分らしく生きること。

それは、自分の納得する選択をして、自分の気持ちに嘘をつかずに生きること。

自分の好きなものを好きと言うこと。

それが、いまの僕の目標です。

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夢は大きく。まだ諦めてない、うん。

 

つばさ