自分らしく生きずになにかを残したとしても、僕は満足できないと思う
前回、「自分らしく生きる覚悟」について書きました(↓)
今回は、その続き。
いつかは死ぬのに、なぜ生きるのか。
自分が死んでも、世界は変わらずに続くだろうに。
なぜこんなにも頑張るのか。
それは、多くのひとは、何かを残したいからだと思う。
というか、僕がそうだ。
自分が死んでも、自分を思ってくれる人がほしい。
自分という存在に意味があったと思いたい。
世界に影響を与えたと思いたい。
そんなことも思う。
だから、いままでは、「自分の存在証明」みたいな欲求が強かった。
有名になりたかったし、すごいねと言われたかった。
けれど、いまはそれよりも強い欲求が出てきた。
それは、「自分らしく生きたい」ということ。
胸を張って、名を残す
何かを残した場合、それによって自分の名前が、自分が死んだ後も語り継がれる。
それはいいことのように思えるけど、
もし、それが自分のしたいことではなくて、結果が残っていたら。名前が残っていたら。
それは胸を張って、誇れるようなものだろうか。
おそらくそんなことは絶対なくて、
総理大臣「加藤翼」も、名医「加藤翼」も、起業家「加藤翼」も、
僕はいまはなりたいと思えない。
だからこそ僕は、いま心が思うことに、心が感じることに純粋に生きていきたいと思う。
名前を残せないことは、残念なことだ。
ただ、自分らしくない名前が残ることは、それと同じくらい残念なことだと感じた。
だから、まず、自分らしく生きること。
それは、自分の納得する選択をして、自分の気持ちに嘘をつかずに生きること。
自分の好きなものを好きと言うこと。
それが、いまの僕の目標です。
夢は大きく。まだ諦めてない、うん。
つばさ