僕の憧れるひと:山地酪農家・中洞正さん
経済合理性よりも、大切なことがある。
そう、信じています。
「お金がなきゃ、続かない」
「守るものがないから、そんなことが言える」
「夢だけじゃ食っていけない」
そんなことは、知っている。
二兎を追うことは、一兎を追うよりも難しい。
もう、言われなくても、当たり前だ。
当たり前のことを、何度も言わなくてもいいじゃないか。
もっと夢を語ろう。
もっと楽しい話をしよう。
そこにどんなに困難なことがあっても。
分かち合えば、助け合える。
仲間になれば、応援し合える。
そんなふうに思わせてくれた言葉があります。
「夢を追わなきゃ、青春じゃないだろう!」
これを聞いたのは、岩手の酪農家の人から。
この方の人生を知ってほしくて、この記事を書きます。
いまでも現場に出続ける、中洞(なかほら)正さん。
青臭くても、自分の信じた夢を追い続ける。
その姿に、心を打たれます。
酪農家の方なので、唐突ですが、「牛乳」の話から。
「牛乳」の裏側、みなさん知ってますか?
僕も半年前まで、まったく知りませんでした。
読み始めた方、ぜひ最後まで。
目次
酪農に押し寄せた、近代化の波
戦後、酪農には大きな波が押し寄せました。
近代化、そして効率化です。
一頭あたりの乳量を多くすることを目的に、
今日多くの乳牛は牛舎で密飼い、輸入の濃厚飼料を食べています。
その方がコストが下がり、生産性があがるのです。
特に、牛の牛舎飼いが進んだのは1987年。
農協に出荷する生乳の取引基準が「乳脂肪率3.5%以上」とされ、
それ以下の生乳は半値で買取とされたことが大きな要因です。
これが何を意味するか。
自然放牧の牛は、春から夏にかけて青草を多く食べる頃、
乳脂肪率が3.5%を下回ることもあり、安定しません。
では、常に3.5%を超えるためには?
それは高カロリーの輸入濃厚飼料を与えていれば可能です。
つまり、この規定は実質、半強制的な牛舎飼い。
日本の酪農は放牧を捨てざるを得なかったのです。
市販の牛乳には、「3.6」「3.7」など、乳脂肪率が書かれています。
幸せな牛から、おいしい牛乳
この大波の中で、24時間365日の自然放牧を実現したのが、
岩手県岩泉町・「なかほら牧場」中洞正さん。
標高700mを超える広大な山地に、約90頭の牛を放牧しています。
餌は、基本的に自生する野シバ。
この「山地酪農」という方法で、牛を飼っています。
効率ではなく、自然の摂理を一番に。
その中で人間は、循環のサイクルを手助けする存在になるのだと言います。
そのため、交配、受精、分娩も牛まかせ。
年を重ねて乳量の減った牛も飼い続け、20年近く生きた牛もいます。
一方で近代酪農では人工授精を繰り返し、乳量の減った牛は肉牛として処分。
密飼いで病気にもかかりやすく、平均寿命は6~7年です。
「牛がしあわせだからこそ、おいしい牛乳ができる」と中洞さんは語ります。
「なかほら牧場」での放牧の様子。牛乳のパッケージにあるような放牧はもうほとんどないのだそう。
標高約700m。豪雪の北上山系でも、たくましく生きる牛たち。
一本1000円の牛乳を売る
中洞さんの飼い方は、経済合理性からは逸脱します。
乳量はとても少なく、通常の約1/5だそうです。
けれど、それは牛や自然という生き物に、
真正面から向き合い、その幸せを第一に考えるからこそ。
その結果、できる牛乳は一本1000円というもの。
しかも、先に述べたように、この牛乳は農協には出荷できません。
乳脂肪率が安定しないためです。
だからこそ、牛舎飼いを進める行政と袂をわかち、
中洞さんは、牛乳の生産・加工・販売を一貫して行う牧場づくりを、
まさにゼロから創り上げてきました。
その期間、40年以上。
気の遠くなるような夢を、追い続け、実現してきたのです。
この理念や生き様に惹かれ、
「なかほら牧場」には、毎年200人以上の研修生が訪れます。
若者も多く訪れます。
僕も、去年ここを訪れ、ここの場所、ここのひとに魅了されました。
今年の夏もまた訪れようと思っています。
ここに書いたのは、ごくごく一部で、
もっと深い牛乳の話が、
もっと壮絶な中洞さんの人生があります。
興味を持ってくれた方、本かHPで見てみてください。
あるいは、いっしょに現地へいきましょう。
目の前に広がる景色に、成し遂げてきたことの大きさに、呆然とします。
僕の憧れのひと、憧れの生き方です。
僕も、ずっと青春でいられるように。
つばさ