「地方」イメージで語らない。自分の目で見て、頭で考える。
前回のブログで、就活で思ったこととともに、
「地方」に興味を持った経緯を書きました(↓)
「地方」というイメージに惹かれてはいないか
でも、いろんな人に会っていると、よく聞かれるのが、
「なんで地方に興味があるの?」ということ。
そこで、「いや、東京には行きたくなくて…」という話をしても、
自分自身、全然楽しくない。
「え、消去法なの?」って感じ。
地方に興味はあるのだけれど、
「地方の魅力ってなに?」と聞かれるとわからない。
地方だけじゃなくて、18年間育った長野市も、
高校生までいただけで、そのときは学校と家の往復。
長野市の良さや問題点なんて、考えても出てこない。
じゃあ、僕は地方になにを期待しているか。
思いついたらシンプルで、つまりは「地方へのイメージ」だと思った。
東京は、騒々しくて、慌しくて、人が使い捨てにされていそう。
地方は、人が温かくて、穏やかで、一人一人が大切にされていそう。
こんなイメージだろうか。
長野駅前。割と街中。向かいのビルにはドンキがある。外国人もよく見かける。「長野」感はないかなぁ。。
「地方イメージ」からの脱却
「地方に興味ある」という理由が、「地方へのイメージ」だとわかったら、
「地方」と「都会」は別にどうでも良くなった。
「東京は人間関係が希薄で…」と言っても、
実際、東京に住んだことあるわけじゃないし、
長野市の人間関係が、濃くてあたたかかったかと言われると、そうも思えない。
東京で、濃く楽しい人間関係を築いている人もいるだろう。
だとしたら、「地方」と「都会」の違いは何か。
そもそも、「地方」とはどんな場所を指すのか。
自分が「地方」に行くならば、そこで何を目的に、何を解決するのか。
そんな問いがたくさん出てきて、
「地方」や「都会」という言葉を曖昧に使っていたのだなと感じた。
地方の住宅街に、あたたかさはあるのか。
だからこそ、それらの言葉に囚われすぎることなく、
もっとそこに住む人々の暮らしや思い、食、文化、産業、行政など、
「地方」という言葉では一般化しえないものに目を向けるようになった。
「あたたかい人間関係」が残る「イメージとしての地方」よりも、
もっと深く、具体的なものを、探すようになった。
「地方だから」「都会だから」というのは、あまりにも一般化しているし、
「あたたかい人間関係」は、そもそも場所に求めてはいけない。
というのも、いま思うことだ。
どこにいても、人間関係は求めるものでなく、自分から築くものだと思った。
誤解して欲しくないのは、
イメージで興味を持つことを否定しているわけではないこと。
それは、新しい世界を知るための一歩だと思う。
書いたように僕自身、「地方イメージ」なんかで、動き出していたことが多い。
けれど、興味を持ったものの実態が、どうであるかを見極め続けなければ、
自分自身が、誤解したまま進んでいくことになるかもしれない。
「地方に興味がある」という人は、
もっと具体的に「地方の何に興味があるのか」を考えてみると、
もっとやりたいことが明確になるかもしれないなぁと。
つばさ