つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「地方」イメージで語らない。自分の目で見て、頭で考える。

  

前回のブログで、就活で思ったこととともに、

「地方」に興味を持った経緯を書きました(↓)

tsubasakato.hatenablog.com

 

「地方」というイメージに惹かれてはいないか

 

でも、いろんな人に会っていると、よく聞かれるのが、

「なんで地方に興味があるの?」ということ。

 

そこで、「いや、東京には行きたくなくて」という話をしても、

自分自身、全然楽しくない。

「え、消去法なの?」って感じ。

 

地方に興味はあるのだけれど、

「地方の魅力ってなに?」と聞かれるとわからない。

地方だけじゃなくて、18年間育った長野市も、

高校生までいただけで、そのときは学校と家の往復。

長野市の良さや問題点なんて、考えても出てこない。

 

じゃあ、僕は地方になにを期待しているか。

思いついたらシンプルで、つまりは「地方へのイメージ」だと思った。

 

東京は、騒々しくて、慌しくて、人が使い捨てにされていそう。

地方は、人が温かくて、穏やかで、一人一人が大切にされていそう。

 

こんなイメージだろうか。

 

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長野駅前。割と街中。向かいのビルにはドンキがある。外国人もよく見かける。「長野」感はないかなぁ。。

 

「地方イメージ」からの脱却

 

「地方に興味ある」という理由が、「地方へのイメージ」だとわかったら、

「地方」と「都会」は別にどうでも良くなった。

 

「東京は人間関係が希薄で」と言っても、

実際、東京に住んだことあるわけじゃないし、

長野市の人間関係が、濃くてあたたかかったかと言われると、そうも思えない。

東京で、濃く楽しい人間関係を築いている人もいるだろう。

 

だとしたら、「地方」と「都会」の違いは何か。

そもそも、「地方」とはどんな場所を指すのか。

自分が「地方」に行くならば、そこで何を目的に、何を解決するのか。

 

そんな問いがたくさん出てきて、

「地方」や「都会」という言葉を曖昧に使っていたのだなと感じた。

 

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地方の住宅街に、あたたかさはあるのか。

 

だからこそ、それらの言葉に囚われすぎることなく、

もっとそこに住む人々の暮らしや思い、食、文化、産業、行政など、

「地方」という言葉では一般化しえないものに目を向けるようになった。

「あたたかい人間関係」が残る「イメージとしての地方」よりも、

もっと深く、具体的なものを、探すようになった。

 

「地方だから」「都会だから」というのは、あまりにも一般化しているし、

「あたたかい人間関係」は、そもそも場所に求めてはいけない。

というのも、いま思うことだ。

どこにいても、人間関係は求めるものでなく、自分から築くものだと思った。

 

 

誤解して欲しくないのは、

イメージで興味を持つことを否定しているわけではないこと。

それは、新しい世界を知るための一歩だと思う。

書いたように僕自身、「地方イメージ」なんかで、動き出していたことが多い。

けれど、興味を持ったものの実態が、どうであるかを見極め続けなければ、

自分自身が、誤解したまま進んでいくことになるかもしれない。

 

「地方に興味がある」という人は、

もっと具体的に「地方の何に興味があるのか」を考えてみると、

もっとやりたいことが明確になるかもしれないなぁと。

 

 

つばさ