青森県六ヶ所村へ
普通の人はどれぐらい知っているんだろう。
僕は恥ずかしながら、東北へ来るまで
六ヶ所村に何があるのか詳しく答えられませんでした。
今回行ったのも、車で1時間ぐらいぐるぐる回っただけ。
前後に時間がなくて、そうなってしまったのだけれど、
そうでもして自分の目で見てみたくなった。
だからほんの表面しか今回は書けないけれど、
「なんにも知らない」という人は、読んでみてもらえると嬉しいです。
六ヶ所村には、高レベル核廃棄物の貯蔵施設がある。
六ヶ所村には、風車が至る所に建っている。
展望台から見た風車。どこを見ても目に入るぐらいたくさん。
近くで見ると圧巻。
中央の緑色の建物が石油備蓄基地。
鉄塔と電線が空に架かる。
異様ではあった。
道中は、松林のなかだった。
そのまま行けば本州最北端、下北半島へと続く。
その途に、人口一万人のその村はあった。
視界が開けると鉄塔と風車が立ち並び、
平地にはソーラーパネルが敷き詰められ、
工業施設と隣接する団地住宅が軒を連ねていた。
だからどうした。は、僕はまだわからない。
国が押し付けているようであり、実際激しい反対運動もあったという。
一方で、村民の一人当たり所得は1,300万を超えるという。
これらの施設がないと村は行き詰まると言う村民もいる。
外見だけでは、一方的な解釈になってしまう。
ただ一つ事実は、いま僕らはこの光景がないと生きていけないということだ。
街中で生活し、便利なモノを買い、多くのエネルギーに支えられている。
それが、六ヶ所村に集積されている。
そのことは知っておいて、できれば行って見て感じておいた上で、
生活するのは大事なんじゃないかなぁと。
そう思って、僕は足を伸ばして行ってみました。
【六ヶ所村の施設】
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「チッソとは何なんだ、私が闘っている相手は何なんだということがわからなくなって、狂って狂って考えていった先に気付いたのが、巨大な「システム社会」でした。私がいっている「システム社会」というのは、法律であり制度でもありますけれども、それ以上に、時代の価値観が構造的に組み込まれている、そういう世の中です。」
「いわばチッソのような化学工場で作った材料で作られたモノが、家の中にもたくさんあるわけです。...私たちはまさに今、チッソ的な社会の中にいると思うんです。ですから、水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任がありますけれども、時代の中ではすでに私たちも「もう一人のチッソ」なのです。「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱して行くのかということが、大きな問いとしてあるように思います。」
10年以上続けた水俣病闘争から退いた漁師・緒方正人さんはこう語る。
私たちは「原発的な社会」の中に生き、期をせずにその社会を支えているのだ。
六ケ所村は、私たちの価値観の具体的な表出の一つだ。
責任者を探し続けても、そこにいるのは私たちだ。
一人の責任者のいない時代に、革命は起きない。
首相を変えたとしても、また別の誰かが出てくるだけだろう。
その意味で変革は、自身を変えることからしか始まらないのかもしれない。
つばさ