変革を起こす「越境者」であれ
10日間、京都で山籠りしていたので、
2週間も前になってしまったけれど。
地元・長野市の地域づくりのイベントに、
スピーカーとして話をさせてもらいました。
人前では緊張してどもってしまうので苦手で、
準備を先延ばしにしてしまうことが多いけれど、
今回は思うところがあり、何回も練習して臨みました。
林業の話以前の、僕の社会に対する問題意識だけを15分。
プレゼンはとりあえず合格点かなと。
嬉しかったのは。
一人の50代の男性が、
「今日は君とFさん(もう一人のスピーカー)と知り合えたのが私の財産」
と伝えてくださって、本当に光栄でした。
得意じゃないものを引き受け、
気合いを入れて取り組んだのは、
ひとつの使命感があります。
越境者であり続けること
参加者は、40-50代の社会人の方が多かった印象。
一方、僕はまだなにも始めてないただの学生。
そんな状況で依頼を受けるのは躊躇われました。
こんな状況で、何か有意義なことが話せるのかと。
ただ、やはり、僕が山に入る意義はなんなのか、
なぜ林野庁じゃないのかを考えたときに、
それは分断を越えることだと思っている。
社会の変革は、越境者から始まる。
既存の社会に新しいものが生まれ、変化していく。
それは社会の内部から生まれることもあるが、
外部からの新参者が刺激となることが多い。
それは今までなかった価値観をもたらし、
既存の社会をまた別の社会とつなげる、あるいは新しい社会へと再構築する。
地方を変えるのは若者、よそ者、バカ者と言われる。
要するに「越境者」だ。
現状維持では、なにも変わらない。
京大卒の林野庁員はきっとたくさんいる。
その人たちが、現在の林業の一角を担ってきた。
けれど、いま日本の森林は多くの課題を抱えている。
いままでのやり方では変わらない。
(もちろん林野庁に進む人等を批判してるわけではありません)
僕は林業家としては、技術の面では劣るかもしれない。
160センチ、50キロのひ弱な体格では、最初はきっとついてくのに必死だろう。
それでも僕が現場に行く意味。
それは、新しい風を吹かせること。
新しい視点をもたらすこと。
そして、新しい人々の層に伝えること。
これしかない。
林業の現場では「京大卒」など意味を持たない。
むしろ、邪魔だ。煙たがられる。
「林野庁に行って、林業を変えてくれ」と言われたことは一回ではない。
だから自分でもあまり言いたくない。
だけど、使えるものは使ってやる。
「京大卒・林業家」がより多くの人のきっかけになるのなら。
いま、人が生活の中で「木」を意識することはない。
無くても生きていけるように錯覚している。
林業家も山から離れることは少ない。
この分断を、越えること。
2つの世界をつなげること。
その橋に、自分がなること。
それが僕が山に入る社会的意義だ。
越境者であり続けること。
世界を伝え続けること。
これを一つの使命としていきたい。
というわけで講演の機会は願ってもない場で、
もちろん、これからは山仕事が優先だし、
まだ未熟者だけれど、呼んでくださるものにはできる限り受けたいと思います。
まず、地元で話せて嬉しかった...。
つばさ