つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「消費」の楽しみ、「生産」の愉しみ

鳥取県智頭町へ引っ越してきて3ヶ月ほど。

いろいろつくってみた。

 

味噌、ハーブ畑、梅シロップ、

洗濯物干し場、生ゴミコンポスト

木のしゃもじ、木の栞、木のブックスタンド、木の小鉢。

いまは畑にいろいろ植え付け中。

 

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洗濯物干し場。伐ってきた竹と紐で、完成。

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ダンボーコンポスト。料理で出た生ゴミを堆肥に変える。

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杉を掘ったしゃもじ。二作目を鋭意製作中。

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植物を入れる小鉢。穴開けるの、すげえ大変。

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植え付け中の畑。いまは右奥一畝だけ完了。

 

田舎は、都会のような便利なモノは多くない。

コンビニ、ショッピングモール、カラオケ、飲み屋などなど。

それらを求めるなら、都会の方がいいに決まってる。

それは事実だと思う。

 

じゃあ、田舎はどうやって人を呼ぶのか。

それは「便利さ」という軸から外れることだと思っている。

 

都会の便利さとは、「消費」の楽しみだ。

お店が多い。それはつまり、お金を払って受けられるサービスが多いということ。

逆に言うと、お金がなければ楽しくない。

高級なお寿司屋さんも、高級なアパレルショップも、買えなければ楽しくない。

 

だからこそ、田舎は「生産」する愉しみを打ち出すべきなんじゃないかと思っている。

近くの竹林で、竹を伐ってこれる。

広い畑を借りて、農作業ができる。

木材と道具をもって、木工品づくりができる。

 

田舎にとっては当たり前のようで、この環境は価値だと感じている。

都会では、農業するには、年数万円を払って体験農園をするし、

モノづくりをするための材料も揃いがたく、

そもそもDIYできる家に住んでいなかったりする。

 

人とサービスに溢れる都会だからこそ、

一人一人のスペースが狭く、つくるための「余白」が少ない。

一方で、田舎では土地も家も余り、材料は周りにあふれている。

もちろん田舎は田舎のルールがあるけれど、

「余白」は田舎の方が圧倒的に大きい。

 

そう考えると、都会の方が「自由」ということも見方次第で、

田舎の方が「自由」だと感じる人も多いのかもしれない。

 

 

だから、僕は「都市」と「地方」というわけ方も好きじゃなくて、

僕の生まれ育った長野市も、十分に便利な街だったし、

「都市」と「地方」は、ただ首都の東京とそれ以外、という程度の

違いしかないのだなぁと、ある時思うようになった。

 

また、「地方創生」の名の下で、

企業や大型施設を誘致するのは、

「便利さ」のモノサシの中で、東京と張り合うことになるから、

「地方」の衰退の根本的な解決にならないんじゃないのかなぁと思うようにもなった。

 

 

もっと田舎の村や町が、

「自分の暮らしをつくること」に目を向けて、

「この村に来れば、こんな暮らしができる」というのを明確に打ち出して、

その余白を、環境をつくることが、田舎の行政がやるべきことで、

それができたところが生き残っていくんじゃないかなぁと。

 

 

「まちづくり」なんて、やったことないし、

そんなに興味がないから、簡単に言えるのだろうけれど。

約3ヶ月の日々を、そんな風に思いながら暮らしてます。

たのしく生きていきたい。

 

つばさ