「圧倒的成長」って言われると、焦るんです。
以前、「成長」について書きました。
林業を始めて、感じたこと。
今回はその続き。
前回は「身の丈にあった成長」を心がけないと、
林業では事故につながるよ。みたいなことを書きました。
でも、それだけじゃない気もしています。
「身の丈にあった成長」
つまりは、自分のできること、できないことをしっかりと見極めて、
できることに集中する。
これをしていると、不思議とできることが増えていく気がします。
「できること」しかやってないはずだから、
これだけ聞くとおかしい感じがするのだけれど。
なぜだろうか。
それは、基礎から身についていくからかなぁと思います。
できることにも「できる度」みたいなものがあって、
チェーンソーで丸太を伐るにしても、
最初はきれいに切れなかったり、
腕がものすごく疲れてしまったり。
それが、「丸太を伐る」ことに集中して、
何度も繰り返しやっていると、
切断面がきれいになったり、
何度やっても、身体が保つようになる。
同じ「伐れる」ことでも、その質が違う。
そうすると、
負担のかからない身体の使い方や、
傷まないチェーンソーの使い方がわかってきて、
自然と「できること」しかしなかったのに、
「できないこと」ができるようになっていく。
そんなサイクルになるのかなぁと。
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逆に学生でいたときは、
「圧倒的成長」という言葉を何度も聞いて、
圧倒的に成長しようと、頑張っていた。
でも、それでできるようになったことは少ない気もする。
なぜだろうか。
一つは、ものすごく焦るからじゃないだろうか。
大学の先輩や、会社の人事や代表、
その人たちに、「圧倒的成長」と言われると、
早く、その人たちに追いつきたいと頑張ってしまう。
けれど、そのとき、自分のできることやできないことなんて把握してなくて、
むしろ「限界を超えろ」「やると決めろ」と言われることで、
「僕は(今は)これができないんだ」と認めることさえ、
否定されるような気がしてしまう。
そして、「圧倒的成長」を目指す横には、
常に同期で、同じように「圧倒的成長」を目指す人がいて、
どちらが、より早く、より圧倒的に、
成長できるかが試されている。評価されている。自分より上の人によって。
という感覚に陥る。本当かどうかは別として。
そうなると、もう、焦りまくる。
まともなプレゼンなんかしたことないのに、
企画プレゼンを志願してみたり、
リーダー経験ないのに、リーダーに立候補したりしてた。
苦めの思いでしかない。
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もちろん、誰もが最初は経験なんてなくて、
経験を待ってたら、一生挑戦せずに終わるのだけれど、
自分の能力もわからずに、焦ってやっても、
成長は遅いのかもしれないなぁと。
人それぞれ、伸び方は違うし、
焦るぐらいに成長を目指した方が早い人もいるだろうし、
あるいは、同じ人でも時期によって、
自分の能力を確かめながら挑戦するのと、
何も考えずに突っ込んでみるのと、
どちらがいいかは違うのだろうから、
一概には言える話じゃないけれど。
「圧倒的成長」と言われて、焦って周りが見えなくなってるとしたら、
落ち着いてみるといいかもよ。
と、3年前の自分に言いたい。
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尊敬する先輩は、
「すぐに型破りになろうとするな。
型を破るには、まず自分の中に型をつくらないと、破る型がない」
と言っていました。
いま、すごく心に沁みてます。
「型」がなければ、破れない。
5月は、より一層、木と向き合いながら。
日々、精進。
つばさ