いま、この時代に、林業をするということ。
林業。
それは、どんな仕事にもない特異な性質を持つ。
仕事のサイクルが、ものすごく長いことだ。
木は植えてから、50年で伐る時期を迎える。
それまで何をするかというと、
下草を刈ったり、枝打ちをしたり、間伐をする。
それを数十年経て、ようやく木の用途が増え、価値が上がる。
角材や、板材や、柱材などの建築材になるのだ。
サイクルが長いと言われる農業でさえ、
一年周期で回っていく。
ましてや、他の業種はもっと早く回っているのだろう。
それに比べ、林業は、50年周期。
あるいは、そこから100年生の森をつくろうと思えば、
周期はもっと伸びうる。
「自分の植えた木を、孫が伐る仕事」と先輩が言っていた。
とてつもない、と感じた。
サイクルが長いこと。
その一番の弊害は、経験の蓄積の遅さである。
ビジネス的に言えば、PDCAが遅い。
検証できる仮説は少なく、
仮説の正誤を検証できるのも、50年後だ。
現在、日本には50年を迎えたスギ・ヒノキ林が大量にある。
戦後、燃料や住宅のために取られた「拡大造林」政策で、
植林が日本全国で行われたからである。
齢級は、木の年数の数え方。1齢級=1~5年生、2齢級=6~10年生...となる。データは平成24年度のもののため、現在50年生以上の人工林は、10齢級以上のものとおおよそ一致する。(出典:林野庁)
しかし、そう考えると、
パソコンが生まれ、スマホが生まれ、AIが生まれつつあるこの期間に、
林業は、一周しかしていないことになる。
スギ・ヒノキの人工林を主とする「林業」も、一度目の試みなのだ。
いかに、林業のサイクルが遅いかがわかるだろう。
「自分の植えた木を、孫が伐る仕事」
そのことを、友だちに話したら、
「そんな先のこと想像しながら、仕事できない」と言われた。
確かに、あんまり実感が湧かないかもしれない。
あるいは、自分もそこまで先を考えているのかと聞かれれば、
まだまだ考えが及ばないことも多い気もする。
だけれども、
本当にそれでいいのだろうか。
本来は、政治だって、教育だって、科学技術だって、
数年先だけを見てちゃいけないはずだ。
どんな国を目指すのか。
どんな人を育てるのか。
その技術で、世に何をもたらすのか。
それを50年、100年先まで考えて初めて、それらは意味を成すのではないか。
いまの時代に、それを考えている人が、どれだけいるのだろうか。
長期的視点というものが、失われてきていると感じるのは、僕だけだろうか。
だからこそ、いま、林業だ、と僕は思う。
林業は、50年かかる。
そんなこと、時代遅れだと言うかもしれない。
50年先のリスクを取るなんて、バカだと思うかもしれない。
だがしかし、50年かからざるを得ない、林業という世界は、
目まぐるしく変化する現代のなかでも、
そのスピードに惑わされず、
未来のために、本当に大切なことを考え、
その遠い先を見据えながら、
いま、やるべきことを、地道に続けること。
それを、教えてくれるのではないだろうか。
僕はいま、昔の人が植えた木で、生きている。
ある山を間伐し終わったとき、
「30年経てば、ここはいい山になるが!」と、先輩が言った。
「そうですね」と、僕は相槌を打ったが、
心から、実感した言葉では、まだなかったかもしれない。
その感覚を、もっと深く、もっと強く、持って生きたい。
林業家的視点を持った政治家が増えれば、
日本はもっと変わるんじゃないかと思いながら。
明日もまた、森を見据えながら、木と向き合います。
つばさ