「田んぼのような人工林」
「人工林は悪だ」という考えが、日本では強い気がする。
春には花粉を大量に撒き散らし、
大雨が降れば、土砂崩れや川の氾濫を引き起こす。
木の実を落とさないので、動物の住めない森となり、
棲家を追いやられたクマやイノシシが里山に出没する。
冬にもほとんど落葉しないので、海にミネラルや栄養を供給しない。
日本のニュースでは、
こんなトピックで取り上げられるのではないかと思うし、
僕も、間違っているとは思わない。
花粉が多いのは、スギ、ヒノキが多いからだし、
土砂崩れの原因も、人工林だから、というのも一因だろう。
だけれど、あくまで「一因」であって、
「人工林は悪だ」という感覚は、一面的でしかないと思っている。
ここで挙げたすべての問題が、
「人工林だから」という原因で片付けられるものではない。
原因はもっとたくさんあって、複雑で、全体を把握するのは、難しい。
そのうちの一つは、「手入れの有無」。
一口に「人工林」と言っても、
適切に間伐された人工林と、50年間放置され続けた人工林は、
その様相が全く違う。
下草の有無、根の張り方、幹の太さ、樹冠のバランスによって、
暴風暴雨への強さ、弱さは全く異なる。
あるいは、「外部環境」。
花粉が多くなるのは、地球温暖化も一因だろう。
農村よりも、都市の方が花粉症の被害は大きいという。
それは、農村では土や水に花粉が吸収されていくが、
コンクリートで覆われた都市では、花粉はずっと舞い続けるからだ。
「手入れ」の話ともつながるが、
これだけ木が花粉を飛ばすのは、生命力が弱り、
子孫を残そうとしているからだ、というのも聞いたことがある。
それから、「植生」。
そもそも、スギというのは、多量に水を吸収するため、
谷地が育つための適所だという。
考えてみれば、野菜にも、動物にもあるような、
生育に好ましい環境が、樹木それぞれにもあるはずなのだ。
それを、なまじ大きくなるからと、
適材適所を考えずに、雑木林を伐り拓き、
スギやヒノキを植えたのが、戦後の政策だった。
山ひとつがすべて、スギだったり、ヒノキだったり。これは、大丈夫なのだろうか。
人工林も「人間の都合のために、特定の植物を育てる」ことが目的ならば、
畑で栽培する野菜と、何ら変わりはない。
それが、平地にあるか、山地にあるか、という違いだけだ。
単純にそう考えるならば、
「ひとつの山全体を、単一の畑にしていいのか」と聞かれれば、
そこに、疑問を持ってもいいのではないだろうか。
ここに挙げたのも、原因のひとつに過ぎない。
そもそも、相互に関係し合う自然の生態系の課題を考えるのだから、
その関係性を一つ一つ紐解いていくしかないのだ。
まだまだ、僕も知識不足が過ぎるので、少しずつ学んでいこう。
という、決意を新たにして。この記事は終えます笑。
ちなみに、その大概を「人工林」を対象に仕事する林業家としては、
「田んぼのような人工林」を模索していきたいなと。
人工物でありながら、タニシやヤゴやカエルや、
生き物の棲家になり、生態系のなかに溶け込んでいるもの。
畑も、自然栽培やパーマカルチャーが広がるなかで、
人工林も、新しいかたちがあるんじゃないかと、ひそかに思ってます。
それがどんな形かは、生涯模索していかなきゃなのかなと感じるところですが。
人と共生する森を。
つばさ