つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「効率化」を、ちゃんと考えるということ

 

鳥取県智頭町へ、越してきてから早9ヶ月ほど。

なんとか食らいついてゆく日々であります。

 

のんびりと田舎暮らしを満喫しているかと言われれば、決してそうでもなくて、

特に僕は「暮らしづくり」を大きなテーマに、過ごしていきたいと思って、ここに住み始めたわけでありまして。

 

「暮らしづくり」というのは、

衣食住・教育・医療・エネルギー、

自分の暮らしに必要なものを、

できるだけ自分の手や想いを加えて、生きていこうよ。ということで、

つまりは、お金を払えば「消費」できる物ものを、少しずつでも、自分の手で「生産」していこうよ。ということ。

 

これが、僕がこれまで24年間生きてきたなかでの違和感、あるいは生きづらさ、あるいはなんとも言えぬ満たされなさ。

そう言ったものと、どうにか決別して、自分自身の暮らしというものを、なんとか生き抜いてゆくための、ひとつの仮説的な方法なのであります。

 

モノを「消費」して、

食を「消費」して、

サービスを「消費」して、

仕事を「消費」して、

暮らしを「消費」して。

 

そうしていった先に、生き死にの「消費」があるのだと感じていて、

やはり、そこから抜け出すには、ほんのわずかなことから、自分の手でつくり出してゆかなくてはいけないと、いまはそう思っているのです。

 

 

さて、けれど、やってみると、それがどんなに大変かがわかります。

やりたいことはたくさんあるし、やらなきゃいけんことはもっとたくさんある。

 

畑したいし、田んぼしたいし、

木工したいし、DIYしたいし、

漬物つけたいし、保存食を仕込みたい。

あるいは、

本を読みたいし、ブログ書きたいし、

本屋を出店したいし、たまにはごろごろもしたい。

人にも会いに出かけたいし、来てほしかったりもする。

 

でもそのまえに、

日中は山仕事に出かけ、

帰って来たら、夕飯と明日の弁当をつくり、

洗濯をして、風呂を薪で沸かして、

洗濯物を干して、風呂に入り、

マッサージをして、身体をメンテナンスをして、

次の日の仕事に備え、それなりに早く寝ないけぬ。

そんな日常のことが、時間とともに湧き上がってくる。

 

こうなったときに、1日24時間のなかで、

僕はどうやったら、やらなあかんことをやりきりつつ、やりたいことを少しずつでも進めていけるんだ!と、日々えんやこらと、考えて、試行錯誤して、「暮らしの効率化」みたいなところを工夫してみています。

 

ただ、僕はそもそも「効率化」みたいなところを毛嫌いしていた節はありました。

僕の専門は、社会経済学。資本主義の弊害みたいなところに興味があって、そのなかでは、

「効率化によって排除された物もの」のなかに大切なものがあるよね。

みたいな雰囲気が漂っていて、僕もそこに共感するところが大きかったからです。

 

もちろん、いまの物質的に豊かな社会、日常的に生命が脅かされない社会は、まったくもって素晴らしくて、

僕のこれまでの生活は、それによって支えられてきたのだから、それを否定していては、どうにもならないのですが、

それは頭でわかっていても、無意識的に「効率」というものから距離を置いていたように思います。

 

 

だけれども、

本当に、自分のやりたいことがあって、実現したい生き方があって、それに向かって、どうにか少しずつでも進んでゆきたいと思ったとき、「効率」というものを、ちゃんと受け入れることができた気がします。

 

もちろん、「暮らしの効率化」をするからといって、

料理することをやめて、カップ麺ばかり食べていたら、

「僕はなにがしたかったの?」という話になるから、

「効率化」するうえで、何をして、何をしないと決めるかは、

すごく重要なのだけれど。

 

何事もそうだけれど、

目的をもって、そのなかで効率化していくのが大事なんだろうなと。

そんなことを思いました。

効率化のための効率化、ではなく、ビジョンのための効率化。

 

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関係ないけど、ジャムを煮詰める時間が好きです。弱火でじっくり、くつくつと。

 

年末まで、もう少し、がんばろう。

 

つばさ