つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

暮らしを「エンタメ」に、変えていく。

世は、共感の時代。

モノに溢れ、サービスが充実し、

お金によって価格づけされた対価を支払えば、

生活には支障がない。

 

そのなかで見直されるのが、

「心」の領域。

お金を払っても、

手に得難いものが、

相対的に価値が上がっていくのは、

確かにそうだろうなぁと思うし、

「共感」という言葉が、

広がっていくのも、

そう考えるとしっくりくる。

 

「関係人口」という言葉も、

「共感」をベースに据えた

人間関係の築き方を表したものだと思う。

 

 

マーケティングの世界でも、

生産技術が洗練され、

モノ同士の差異がどんどん縮まるなかで、

「共感マーケティング」なるもの、

つくり手の思いや、そのつくる過程、

「ストーリー」を伝え、

そこへの共感から、

自分たちのモノを選んでもらう、

というのが、言われるようになったと思う。

 

ひと昔前は、

「ブランド」が選択基準になっていたけれど、

情報に溢れ、ブランドが乱立するなかで、

確立することが難しくなったのだと思う。

 

だからこそ、

クオリティーを高めることはもちろんだけど、

クオリティーを高めるための苦労をも伝えることでしか、

「ブランド」は確立しえないのかもしれない。

 

 

 

そんなことは、

「東北食べる通信」編集部で

働かせてもらっている時に、

感じたことだった。

まさに、農業漁業の世界、

そのつくり手の世界への共感を、

呼び込もうとする1年間だった。

 

 

そんな期間を経て、

改めて、また実感する。

「共感」を惹きつけること、

それが、いかに大変か。

 

現代に生きる人びとは、

みな、限られた時間を生き、

それを埋め尽くすかのような、

広告、ニュース、娯楽、

さまざまな情報が、襲いかかる。

 

そのなかで、

「共感」を呼び込みたい。

「ストーリー」を伝えたい。

と、いくら思えど、伝えど、

丁寧につくり上げた言葉が、

膨大な情報の大海、

その一滴となってしまうことは、

なんともやるせなく、

もどかしいと感じた。

 

自分が思う「良い」情報。

自分が思う「正しい」事がら。

それらを、受け手にまず、届けるためには、

大海のなかから、

拾い上げてもらわなくてはいけない。

 

そして、基本的には、

皆がみな、僕と同じように、

「良い」一滴を大海に垂らし、

拾い上げてもらうことを、

心待ちにしているのだ。

 

 

ここまで思い至り、気付く。

いまでも、僕は、

僕の考え方を、

共感しうる誰かに伝えたくて、

そうすることで、

その人が救われて、

少しでも生きやすくなることを祈ってやまず、

もう少し願っていいのならば、

いっしょに未来を描く仲間がほしいと、

自分勝手に思う。

 

だからこそ、

僕の伝える事がらは、

「良さ」や「正しさ」よりも、

「たのしさ」や「おもしろさ」に輝き、

ふと心惹かれるものでなくてはいけない。

 

森のこと、林業のこと、自然のこと、

暮らしのこと、生きること、

それらを伝える言葉たちが、

他のFacebookの投稿や、

Twitterのつぶやき、

Amazonのレコメンド、

Youtubeの動画、

パズドラとかのゲーム、

それらを差し置いて、

心惹かれ、読まれうるものではなくては

いけないのだと、思う。

 

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畑も、本屋も、たのしみながらやるには、どうしたらいいかなぁ。 とか考えたり。

 

自分の暮らしを「エンターテイメント」にする。

そのためには、まず僕が、

自分の暮らしをおもしろく生きること。

 

そんなことが大事だなぁと思って、

自分の心に耳を澄ませ、

その動きをつぶさに感じながら、

心惹かれるものに、惹かれるままに、

行動していくこと。

 

そんなことを考えながら、

暮らしています。

このブログも、

果たして「読まれうる」のだろうか。

 

すぐにはうまくいかないだろうけれど、

試してみなきゃ、進まない。

日々、精進。