つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

スギ林・ヒノキ林は、山地にある「畑」

前回、スギ・ヒノキの人工林を「森」と

表現することへの違和感を描いてみた。

tsubasakato.hatenablog.com

 

 

そう考える背景には、

僕は「人工林はあくまで畑に過ぎない」と感じるからである。

 

日本は山の多い国だ。

国土の約7割が「森林」だと言う。

 

そこで限られた平地の中で、

田んぼや畑をつくり、農耕を営み、

まず生きるのに欠かせない食糧を生産してきた。

それでも足らずに、

段々畑や棚田を、昔の人はつくってきた。

 

だから、日本で森や林と言えば、

基本的には、山地にある。

 

 

その地形(平地か山地か)や、

スケールの違い(100㎡か10万㎡か)から、

農業と林業は、離れたもののように感じられるが、

「人間の生活に必要なものを、意図的に植え、育て、収穫する」

という意味においては、

野菜もスギの大木も、なんら変わりはない。

 

ただそれが、平地にあるか、山にあるか。

食を満たすか、住を満たすか。

それだけの違いである。

 

 

もちろん、林業の方が、

「広大な土地」を使っていたり、

山が「水の源、川の始まり」であったりするので、

周囲に与える影響が大きくなり、

地球環境や自然災害など、考慮すべきことが多くなる。

という違いはある。

 

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ただ、ここで言いたいのは、

詰まるところ、農業も林業も、

「人間の都合で自然に手を加えたものだ」ということ。

 

 

それを、木が生えている場所すべてを

「森」という言葉で表現すると、

一人一人イメージが違った状態での議論が

続いてしまうのかなぁという感覚を持つのである。

 

 

きっと、僕自身、

「森」というものの自然性、

あるいはそこから想起される神聖なイメージを抱いているから、

「森」とまとめて表現することに、違和感を覚えるのだろうなぁと。

ここまで言葉にしてみて、感じます。

 

 

他の人はどんなイメージだろうか。

あるいは、林業の現場、スギ林・ヒノキ林を

毎日歩いているから、区別したいと思うのだろうか。

街中に住んでいたら、違和感など感じないのだろうか。

 

つばさ