つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「森」という曖昧なもの

「言葉」というものは全般がそうだけれど、

日本語における「森」という言葉は意味が広い。

 

屋久島の自然だって「森」だし、

智頭の人工林だって「森」と呼ぶ。

 

一説では

「森」は自然に生えたもの(木々が「盛る」様子から)、

「林」は人の手で植えたもの(「生やす」から)

と、区別されることもあるそう。

 

しかし、会話の中で「林」なんて使わないし、

スギ林、ヒノキ林を「森」と表現するし、

天然のブナの森を「ブナ林」と呼んだりもする。

 

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智頭のスギ林。智頭の森という表現を使ったりする。

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岩手・西和賀の天然の森。林相の最終形がブナ林だそうだ。「森」という言葉がしっくりくる。

 

別にわけなくたっていいじゃないかと言われるかもしれないが、

そのイメージの違いを見過ごしてはいけない気がしている。

 

つまりは、

もののけ姫」を見た人の言う「森を守ろう」と、

林業家の言う「森を守る」は、全くものが違うのだ。

これは都会と山村の「森」が違うことである。

 

ここが同じイメージにならなければ、

いつまで経っても都会と田舎、

あるいは国と地方とのコミュニケーションができないのではないか。

 

だからこそ、僕はやはり、

植林されたスギ林、ヒノキ林は「森」ではない、と言いたい。

 

あくまで、これらは人工林であり、

畑で野菜を育てるように、

山地でスギ・ヒノキを育てているだけだ。

林業家は「森」など守っていない。

そう思う。

 

しかし、そう認める一方で、あるいは認めるからこそ、

林業家は「森を守る」という一見小綺麗な曖昧な表現から脱し、

「山林」という広大な範囲に、人間の手を加えることへの恐れを抱き、

不安を感じ、慎重になり、丁寧にできるのではないか。

 

 

林業的な森が「森」でないならば、どんな言葉が適切か。

僕もまだ「これだ!」というものはないのだけれど、

「山林」あたりがちょうど良い気がしている。

「林」ほどスケールの小さい印象を受けないし、

「森」や「森林」ほど、自然感もない。

 

 

経験が違えば、思想が違えば、使う言葉は同じでも、

意味するところがまったく違うことは多々ある。

林業」など考えたこともない人が多くいる世の中で、

その辺りから、見方をまとめていくことが大切な気もする。