「弱さへの共感」が生む「被害者」意識 / 新たな「原体験」を積み重ねること
熱量のある人に、憧れていた。
いきいきと、人生を楽しんでいるように見えた。
いつも明るい人が、羨ましかった。
その人がいるだけで、雰囲気が明るくなる。
なんて素敵な影響力を持った人だろうかと感じた。
僕もそんな人になりたいと願ったけれど、
なかなか近づくことはできなかった。
どうしてだろうかと思いながら、時を経て、
憧れた人たちと接していくなかで、ひとつ、気付いたことがある。
それは、
輝いて見える人ほど、その心の内に影を抱えていること。
過去に、あるいはいまでも、苦労をしながら、
それでもなお、前を向き、生きようとする姿に、心を惹かれていたこと。
普通の人生を送ってきた僕(と自分では思ってる)には、
他人の激動の人生が、衝撃的だった。
すると今度は、その原体験が羨ましくなった。
もちろん、人の苦労を知らないまま、
それを肯定してしまうのは、失礼極まりないけれど、
自分にはないものを持っているなぁと感じたのは事実。
それから、自分を突き動かす衝動を探し求めるようになる。
これは、就活が重なったからのようにも思う。
就活では、とにかく自分の「原体験」を求められる。
企業は、あなたの本気度や持続性を評価したいからだ。
だからこそ、就活ではまず最初に「自己分析」を行い、
徹底的に自分の過去を掘り下げる。
そうして、この時期に僕の書いた文章のひとつがこれ。
加藤 翼 - 【僕は、弱い人間】... | Facebook
この場、この瞬間の思いに、嘘偽りはまったくないし、
過去の自分の思いを否定するわけでもないけれど、
今読み返すと、まぁ、書きすぎだなと思う。
自分の弱さだけを、前面に押し出してるから。
「弱さへの共感」が生む「被害者」意識
でも、最初はこれだけでもいいんだけど、
(自分で言うのもなんだけど、共感してくれる人も少なからずいた)
そのうちまた、壁にぶち当たった。
「弱さ」への共感ばかり集めていると、
それを克服してしまったら、共感してもらえなくなるんじゃないかと、
怖くなってきて、自分を変えられなくなるのだ。
なぜ怖いかと言えば、
やっぱりその「原体験」が「自己分析」を通して、
理屈で考えて導き出したものだからだと思う。
原体験は、きっと、もっと衝動的だ。
そして僕は「被害者」であることをやめられなくなる。
「弱さへの共感」が自分にとって、一時的な「慰め」みたいになり、
それを断続的に感じなくては、不安でいられない。
だから「自分はこんなにも弱いんだ!助けて!」と、
あたかも何かの被害者かのように発信し続ける。
そんなイメージ。
「原体験」を、創り出す
これに気付いて、ここ最近僕は「被害者」意識から脱却しようとしている。
どうすれば、抜け出せるのか。
まだ実践途中だけれど、3つほどその方法をあげておきたい。
①「弱さへの共感」を「ビジョンへの共感」へ
詰まるところ、大部分の共感とはストーリーだと思っている。
そしてストーリーとは、挫折からの再挑戦である。
そう考えると「弱さへの共感」に足りないものは、再挑戦への道筋だ。
つまり、弱さを克服する意志と、克服した後に描く未来、
そのビジョンを少しずつでも形成していくことで、
「慰め」に感じていた共感は、自分にとってかけがえのない「応援」へと変わる。
②「原体験」を、いまからつくる
僕にとって、自分の過去から原体験を探し出すのは難しかった。
「人生かけて成し遂げたい」と思うほどの強い熱量を生む体験など、
いくら考えても、出て来なかった。
一方で、いま、僕がなぜ熱量を持てているのかと言うと、
休学したときに巡った一次産業の現場、畑や海での経験が大きい。
あるいは、単に「森が好きだ」という感覚が大きい。
そう考えると、無理に過去から「原体験」をつくり出さなくても、
焦らずいまから、自分が心惹かれるものを見つけ出すことで、
新しい「原体験」を積み重ねていけるのではないか、とも思うのだ。
このとき、新たな「原体験」を積み重ねることは、
自分の心動くもの、好きなものを探していくことと、同じ意味になる。
あるいは、視点を変えてみれば、
僕や僕の世代の人たちが「やりたいことがない」「原体験がない」と嘆くのは、
「好きなものを選ぶ」ということを、良しとされなかったからのようにも思う。
小中高、学校を通して教えられたのは、
「周りと協調できる、自立・自律した人間」になることだったと僕は感じるから。
③憧れ・羨望から、距離を置く
結局、元をたどれば、僕が他のひとに憧れたことが事の始まりだった。
いまでも、憧れる人はいるし、羨ましいと思うことは多い。
それを決して悪いものだとは思わない。
僕の目指すべき方向性を示し、成長させてくれることもあるから。
だけれど、他の人になろうとしてはいけない。
どう頑張ってもなれないだろうし、
評価軸を完全に外に持ってしまうと、自分を見失ってしまうからだ。
憧れや羨望。
それもまた、自分の素直な感情だから、それを否定することなく、
適度な距離を持って、自分の道を進むこと。
だからこそ、自分の好きなものを、積み重ねていくこと。
まずは、それが大事なのかもしれない。
焦らず、ゆっくり、好きなものを。自分の心に寄り添って。
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書いてきたブログのなかで、一番自分勝手な文章だなぁと感じながら、
今回は、誰かに向けてというよりも、過去の自分への自戒を込めて。
書き記しておきます。
つばさ
「田んぼのような人工林」
「人工林は悪だ」という考えが、日本では強い気がする。
春には花粉を大量に撒き散らし、
大雨が降れば、土砂崩れや川の氾濫を引き起こす。
木の実を落とさないので、動物の住めない森となり、
棲家を追いやられたクマやイノシシが里山に出没する。
冬にもほとんど落葉しないので、海にミネラルや栄養を供給しない。
日本のニュースでは、
こんなトピックで取り上げられるのではないかと思うし、
僕も、間違っているとは思わない。
花粉が多いのは、スギ、ヒノキが多いからだし、
土砂崩れの原因も、人工林だから、というのも一因だろう。
だけれど、あくまで「一因」であって、
「人工林は悪だ」という感覚は、一面的でしかないと思っている。
ここで挙げたすべての問題が、
「人工林だから」という原因で片付けられるものではない。
原因はもっとたくさんあって、複雑で、全体を把握するのは、難しい。
そのうちの一つは、「手入れの有無」。
一口に「人工林」と言っても、
適切に間伐された人工林と、50年間放置され続けた人工林は、
その様相が全く違う。
下草の有無、根の張り方、幹の太さ、樹冠のバランスによって、
暴風暴雨への強さ、弱さは全く異なる。
あるいは、「外部環境」。
花粉が多くなるのは、地球温暖化も一因だろう。
農村よりも、都市の方が花粉症の被害は大きいという。
それは、農村では土や水に花粉が吸収されていくが、
コンクリートで覆われた都市では、花粉はずっと舞い続けるからだ。
「手入れ」の話ともつながるが、
これだけ木が花粉を飛ばすのは、生命力が弱り、
子孫を残そうとしているからだ、というのも聞いたことがある。
それから、「植生」。
そもそも、スギというのは、多量に水を吸収するため、
谷地が育つための適所だという。
考えてみれば、野菜にも、動物にもあるような、
生育に好ましい環境が、樹木それぞれにもあるはずなのだ。
それを、なまじ大きくなるからと、
適材適所を考えずに、雑木林を伐り拓き、
スギやヒノキを植えたのが、戦後の政策だった。
山ひとつがすべて、スギだったり、ヒノキだったり。これは、大丈夫なのだろうか。
人工林も「人間の都合のために、特定の植物を育てる」ことが目的ならば、
畑で栽培する野菜と、何ら変わりはない。
それが、平地にあるか、山地にあるか、という違いだけだ。
単純にそう考えるならば、
「ひとつの山全体を、単一の畑にしていいのか」と聞かれれば、
そこに、疑問を持ってもいいのではないだろうか。
ここに挙げたのも、原因のひとつに過ぎない。
そもそも、相互に関係し合う自然の生態系の課題を考えるのだから、
その関係性を一つ一つ紐解いていくしかないのだ。
まだまだ、僕も知識不足が過ぎるので、少しずつ学んでいこう。
という、決意を新たにして。この記事は終えます笑。
ちなみに、その大概を「人工林」を対象に仕事する林業家としては、
「田んぼのような人工林」を模索していきたいなと。
人工物でありながら、タニシやヤゴやカエルや、
生き物の棲家になり、生態系のなかに溶け込んでいるもの。
畑も、自然栽培やパーマカルチャーが広がるなかで、
人工林も、新しいかたちがあるんじゃないかと、ひそかに思ってます。
それがどんな形かは、生涯模索していかなきゃなのかなと感じるところですが。
人と共生する森を。
つばさ
林業には「ロマン」がある
林業は、サイクルが長い。
苗を植えてから、十分に木が育つまで、
少なくとも50年はかかる。
ましてや、
それまで何もしなくていいわけじゃない。
植林時、密に植えた小さな苗は、
10年ほど、下草刈りを春から夏にかけて繰り返し、
5年や10年ごとに、間伐(間引き)をする。
手入れを怠った林は、過密になりすぎた木々が、
お互いに光を奪い合い、空を枝葉で覆う。
それでも十分には成長できずに、
木の幹は細く、林の中は暗く、地面が剥き出しになる。
50年経っても、径は小さく、建築材にはならず、
チップやバイオマスに、その大半が使われる。
結果、価格は安い。
戦後、拡大造林(全国的にスギ・ヒノキの植林を促した政策)によって、
日本の山は、スギやヒノキの林が急増したが、それがいま、50年以上経つ。
しかし、先に言ったような手入れがされてこなかった林が、多く存在する。
手入れの遅れたスギ林。奥は林内に光が入るが、手前は頭上が覆われてどんよりと暗い。
なぜ、こんなことが起こるかと言えば、やっぱりサイクルが長いから。
50年とは、僕がいま植えた木を、
僕の子どもが手入れをし、
僕の孫が伐採をする期間だ。
50年後は、僕は74歳。
まったくもって、想像がつかない。
5年先の自分すら、わからないのだから。
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つまり、林業は、決してひとりじゃ完結しない仕事だ。
この時代 ー林業家が減り、木材消費量が落ち、
手付かず林が増え、花粉が飛び交い、土砂崩れが頻発する。
山や木が、ますます人から離れていくこの時代に、
林業をすること。木と向き合うこと。
それは、それでも人の暮らしに、人間の生に、
木、植物、森、山が必要だと信じ、
また、その信念を、不確かな未来のなかでも、
きっと、受け継ぐ人間がいるはずだと、信じ抜くことだ。
漫画・ワンピースで、ルフィたちが空島へ向かうとき、
クリケットは、こう伝えた。
「"黄金郷"も"空島"も!!!
過去誰一人"無い"と証明できた奴ァいねェ!!!
バカげた理屈だと人は笑うだろうが結構じゃねェか!!
それでこそ!! "ロマン”だ!!」
100年後の、立派な木、綺麗な山、美しい森を夢見て、
今日もまた、一本の木と、向き合う。
だから、林業には、ロマンがある。
始めて数ヶ月だけれど、そう思っています。
もちろん、ロマンは、追い求め続けなきゃ、手に入らないだろうから。
自分の技術を高めること、美しい森を考えること、仲間を探すこと。
その努力を怠ってはいけないのだろうけれど。
「人事を尽くして、天命を待つ」
そんな言葉が似合いそうな。
これから、まだまだ、人事を尽くさねば。
明日もまた、精進。
つばさ