つばさの軌跡

京都大学5回生。「むらづくり」「生態系づくり」をする仲間を求め、いま思うことを発信する。ブログのテーマは「誰かと心を通わすこと」

青森県六ヶ所村へ

青森県六ヶ所村へ行ってきました。

普通の人はどれぐらい知っているんだろう。

僕は恥ずかしながら、東北へ来るまで

六ヶ所村に何があるのか詳しく答えられませんでした。

今回行ったのも、車で1時間ぐらいぐるぐる回っただけ。

前後に時間がなくて、そうなってしまったのだけれど、

そうでもして自分の目で見てみたくなった。

だからほんの表面しか今回は書けないけれど、

「なんにも知らない」という人は、読んでみてもらえると嬉しいです。

 

 

六ヶ所村には、原発の再処理工場がある。

六ヶ所村には、高レベル核廃棄物の貯蔵施設がある。

六ヶ所村には、石油備蓄基地がある。

六ヶ所村には、メガソーラー発電所がある。

六ヶ所村には、風車が至る所に建っている。

 

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展望台から見た風車。どこを見ても目に入るぐらいたくさん。

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近くで見ると圧巻。

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中央の緑色の建物が石油備蓄基地

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鉄塔と電線が空に架かる。

 

 

異様ではあった。

道中は、松林のなかだった。

そのまま行けば本州最北端、下北半島へと続く。

その途に、人口一万人のその村はあった。

視界が開けると鉄塔と風車が立ち並び、

平地にはソーラーパネルが敷き詰められ、

工業施設と隣接する団地住宅が軒を連ねていた。

 

だからどうした。は、僕はまだわからない。

国が押し付けているようであり、実際激しい反対運動もあったという。

一方で、村民の一人当たり所得は1,300万を超えるという。

これらの施設がないと村は行き詰まると言う村民もいる。

外見だけでは、一方的な解釈になってしまう。

 

 

ただ一つ事実は、いま僕らはこの光景がないと生きていけないということだ。

街中で生活し、便利なモノを買い、多くのエネルギーに支えられている。

それが、六ヶ所村に集積されている。

そのことは知っておいて、できれば行って見て感じておいた上で、

生活するのは大事なんじゃないかなぁと。

そう思って、僕は足を伸ばして行ってみました。

 

六ヶ所村の施設】

www.rokkasho.jp

 

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チッソとは何なんだ、私が闘っている相手は何なんだということがわからなくなって、狂って狂って考えていった先に気付いたのが、巨大な「システム社会」でした。私がいっている「システム社会」というのは、法律であり制度でもありますけれども、それ以上に、時代の価値観が構造的に組み込まれている、そういう世の中です。」

緒方正人(2001)『チッソは私であった』(葦書房)p.48

 

「いわばチッソのような化学工場で作った材料で作られたモノが、家の中にもたくさんあるわけです。...私たちはまさに今、チッソ的な社会の中にいると思うんです。ですから、水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任がありますけれども、時代の中ではすでに私たちも「もう一人のチッソ」なのです。「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱して行くのかということが、大きな問いとしてあるように思います。」

緒方正人(2001)『チッソは私であった』(葦書房)p.49

 

10年以上続けた水俣病闘争から退いた漁師・緒方正人さんはこう語る。

 

チッソも、原発も、本質的には変わらない。

私たちは「原発的な社会」の中に生き、期をせずにその社会を支えているのだ。

六ケ所村は、私たちの価値観の具体的な表出の一つだ。

 

責任者を探し続けても、そこにいるのは私たちだ。

一人の責任者のいない時代に、革命は起きない。

首相を変えたとしても、また別の誰かが出てくるだけだろう。

その意味で変革は、自身を変えることからしか始まらないのかもしれない。

 


核サイクル "原子力が支える村"...六ヶ所村の真実

 

つばさ

どうすれば「持続可能」になるか。

前回に続き、僕のいま考えること第2弾。卒業論文から引っ張ってきました。

前回の記事は以下をご覧ください。

tsubasakato.hatenablog.com

 

○二つの世界に生きる

それから世の中には二つの世界があることに気付いた。

一つはモノとお金がぐるぐる回る、人間がつくった世界。

もう一つは人間とは関係のないところで、

空気や水や土や命がぐるぐる回る自然の世界。

そして自分は今まで片方の世界でしか生きていなかったのだと感じた。

学業に励み、「いい」大学へ進学し、どこかの企業へ就職しようとしていた。

もちろんそれが悪いわけでは決してない。

というより良いとか悪いとかいう話ではない。

そっちの世界もあるけれど、もう一つの世界もあるということに気付いたのだ。

そして魅了されてしまった。

海のことを語る漁師が、土のことを語る農家が、

何より「生きる」ことと向き合っているように感じて、

どうしようもなく格好よかった。

 

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なぜ今、こんなにも「持続可能性」が叫ばれているのだろうか。

答えは一つ。

今までが持続可能ではなかったからだ。

日本は高度経済成長を経て、社会はますます豊かになった。

しかし本当に豊かになったのだろうか。

車が増えた分、空気は汚染された。

農薬を使った分、虫たちはいなくなった。

トウモロコシが安くなった分、地下水が枯渇している。

鶏肉が安くなった分、数え切れないほどの鶏がケージの中で一生を終えている。

これらのコストを誰かが払っているだろうか。

払っていないとすれば、私たちがいままさに享受する「豊かさ」は、

何かの犠牲の上に成り立っているのではないだろうか。

手に入れたと思っているものは、実はどこかから奪っているのではないだろうか。

そしていま「持続可能性」が叫ばれるのは、

奪われた者たちによる反撃なのではないか。

そんな風に思うのだ。

 

○持続可能性の鍵は「分解」にある

私たちは大量生産・大量消費をしてきた。

しかしそれだけでは語弊がある。

大量消費をすると同時に大量廃棄しているはずだ。

消費という言葉は誤解を招く。

人が消費してもモノは消えない。

モノを消費しても最終的にはゴミになり、食べ物を消費しても排泄物は出てくる。

これこそが持続可能でない原因にあると私は考える。

現代は大量生産・大量消費・大量廃棄社会なのだ。

 

【経済活動】

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ではどうすれば持続可能な社会が実現するのか。

それはもう一つの世界、自然の世界を見ればわかる。

自然の世界はどう循環しているか。

例えば窒素(植物を育てる栄養素)を見てみよう。

植物は根から窒素分を吸収し生長する。

その草や実などを人間や他の動物が食べて消化する。

消化して出た排泄物、あるいは動物の死骸は土中の微生物によって分解される。

分解され土になると再び植物が吸収する。

このような輪で回っているのだ。

 

【自然】

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では今の仕組みに足りないものは何か。

それは分解過程である。

ゴミは焼却し埋め立てられ、排泄物は消毒されて川へと流れ、遺体も火葬だ

土に還す仕組みにはなっていないのだ。

このようにゴミや他の形で外に出たものを、

再生産のための処理をする分解の機能が抜け落ちているのである。

この仕組みではいずれ資源は枯渇し、生産ができなくなるのは当然のことである。

人間のつくった世界の持続可能性を考えるならば、

「分解」の機能を見直さなければならない。

 

トイレから考えると、世界が見える。

ゴミ箱を変えれば、世界が変わる。

そんな風にいうことはできないだろうか。

 

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ゴミ箱を覗けば、世界が見える...? 

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原発も「分解」から見れば、かつてないゴミを出してしまう。安全性の問題だけじゃなく。

 

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誤解されないように言うと、

いままでの発展や進歩を全否定しているわけではないこと。

否定は正義の押し付け合いになりかねないし、

誰かの考えるタネになればいいなぁとか、感じたこと共有したいなぁと

思って書いています。

 

つばさ

私は生きていけない 〜初の船上日誌〜

 2016年4月某日、山形県鼠ヶ関沖の船に私はいた。

長野県で生まれ育った私は漁船など乗ったことはなく、人生初の経験であった。

深夜出航した船は波に揺れながら暗闇を進む。

海の上にいる。

その感覚に深い感慨を覚えていたが、

30分と経たずにそんなものは暗闇の彼方へ消し飛んだ。

 

人生初の本気の船酔いは想像の遥か上をいった。

胃の中が空っぽになるまで吐き続けた。

それで吐き気が消えればいいのだが、一向に収まる気配がない。

吐くものがないまま、暗闇に向かって私は嗚咽を繰り返した。

夜が明けると吐き気は次第に落ち着いたが、胸の気持ち悪さは残り続ける。

寝転がっていればなんとかなるが、立ち上がることができなかった。

太陽が燦々と照りつけ、ウミネコの糞の雨が降り注ぐなか、

私は心を無にし続けるほかなかった。

その横では乗せてくれた漁師たちが紅エビを繰り返し獲っていた。

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船の上空を、ウミネコは絶え間なく飛び交う。クゥークゥーと、鳴く声は響く。

 

私が再び地に足を着けたのは昼過ぎ。

半日以上の乗船時間は、乗っていたときは永遠にも感じられたものだが、

降りてみるとほとんど何も覚えていなかった。

真っ黒に焼けた顔と肩についたウミネコの糞だけが、

私が船に乗っていたことを証明してくれた。

 

 

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 2016年4月より私は『東北食べる通信』の発行元、

NPO法人東北開墾で一年間インターン生として働いていた。

上記インターンシップが始まった直後、初めての船上取材での事である。

この他に多くの生産現場に足を運び、生産者の話を伺う貴重な機会に恵まれた。

それまで私は野菜がどうやってできるのか、魚はどうやって獲っているのか、

そういったことを知る機会もなく、また知ろうともしなかった。

 

一方で学業は自分なりに頑張り、京都大学に入学した。

しかしそこで形成されてきた「自分は優秀だ」という恥知らずな自意識は、

(言葉では謙遜しながらも内心は喜ぶ自分の感情は否定できない器の小さい人間だ)

土や海や農家や漁師に完膚なきまで叩きのめされることになる。

海の上に放り出され、何もできない私は自分の無力さを痛いほど感じた。

そのつらさは耐えられるものではなく、吐きながら泣き叫んだ。

正直、本当に少し泣いていた。

 

この経験を経て、私は農家や漁師、自然を相手にしながら生活する人々に、

そして土や海(特に海だ)に、心から尊敬の念を抱くようになる。

京都大学だと伝えて相手から「すごいね」と言われると、

前まではまんざらでもなく思っていたが(やはり器が小さい)、

それ以来本気で否定したくなった。

私は海に出て、魚一匹獲ることもできないのだ。

そして実感した。

いま農家や漁師の人々がいなくなったら、私は生きていけないのだ。

 

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開始30分でこれ。そしてこのまま5時間。

 

でも、この経験が、いまの僕のひとつの原点とも言えるものです。 

 

つばさ