つばさの軌跡

京都大学5回生。「むらづくり」「生態系づくり」をする仲間を求め、いま思うことを発信する。ブログのテーマは「誰かと心を通わすこと」

「当たり前じゃない」ことを、自覚する

09.11〜09.19

岡山県高梁市・吹屋。

「村・留学」に参加してきました。

 

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かつて、ベンガラ(酸化鉄)で栄えた町・吹屋。ベンガラ色の町並に、タイムスリップした感覚を覚える。

 

1年半前にも、京都・久多で参加してきたプログラム。

そのときも、人生で大切なことを学びました。

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今回は、自分と同じ経験を、もっと他の人にも経験してほしいなって。

エゴ的お節介精神もありつつ、半分運営側として参加したのだけれど。

最終的には、僕が大きな事を、学ばせてもらうことになりました...笑。

 

それは、

「向き合ってくれるひとは、有り難い」

ということ。

 

 

 

「違い」を真正面から考える

8泊9日の集団生活。

村・留学には、たくさんのプログラムがあるけれど、

僕にとって一番学びになるのは、みんなと暮らして感じること。

 

数日間ならともかく、これだけ長い間いたら、思うことがたくさんあって。

例えば、

あの人は片付け手伝ってくれないとか。

時間通りに集まらないとか。

いつも、スマホいじってるとか。

注意してくれるけど、言い方がきついとか。

 

みんながみんな、違うからこそ、

価値観とか、基準とか、感覚とか、言い方とか、捉え方とか。

すべてがバラバラで、必ずそこに食い違いがある。

食い違いがあると、それは苛立ちや悩みに変わって、

知らない人同士でずっといることや、身体的な疲れも相まって、

ほんのちょっとしたことが許せなくなる。

許せなくなったら、そんな小さなことも許せない自分の小ささにも嫌になって、

そんなことを考えてたら、みんなとうまく接することができなくなる。

 

本当は、どんな小さいことでも、すぐに言えればいいんだけど、

それはとっても大変なことで、勇気のいることで、怖いなぁって思ってしまう。

みんなのこと、信頼してれば、言えるんだろうけれど、

簡単に信頼関係なんて築けない。

 

じゃあ、そんなことで悩むくらいなら、集団生活なんてしなきゃいい。

と思うかもしれないけれど、

そこで一人で抱え込んでしまったら、先へは進まない。

こんな悩みなど、学校、部活、サークル、会社、生きていればどこにでもあって、

なぜなら、みんな違うからで、

そのなかで、僕は安らぎと居場所を求めてる。

違うけれど、認めてくれる人を。信頼し合える仲間を。

あるいは、学びとは、違いから生まれる「発見」でもあって、

たくさん学ぶには、それだけ多く、深く、違いを知らないといけない。

ひとりで考え、ひとりで学ぶ範囲は、限界があるということ。

それを捨ててしまうこと、悩まずにひとりで生きていこうと見切りをつける。

それも覚悟と決断のいることだ。

 

村・留学。

自然とか、食とか、命とか、地域とか、文化とか、持続可能とか。

いろんな要素があるなかで、僕が悩むのは「人」だ。

こんなことをずっと考え続けてる。

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滞在したゲストハウス・ELEVEN VILLAGE吹屋。居心地の良い空間が広がる。

 

コンプレックスを乗り越える。とは。

考え続けていると、思い至ることがある。

それは、まずは自分が変わること。

  

「気づいてよ」「助けてよ」「誰かやってよ」

 

周りが変わってくれることを、期待する言葉だ。

自分が変わる勇気から、逃げることだ。

 

いくら、誰かに苛立っても、自分が嫌になっても、

抱え込んでいれば、何も変わらない。

自分を自分で好きになるには、自分が動くしかないんだと。

そう思い至る。

 

 

そこで大事なのは、何も壊さないこと。

自分と違う誰かを、否定しちゃいけない。

器の小さな自分を、嫌っちゃいけない。

相手の性格を、自分のコンプレックスを、壊す必要はない。

 

いまの自分、いまの相手。

それをすべて受け入れて、そういうものだと認め、

そのうえで、いまから一歩ずつ、進んで行こうとする。その意思が勇気だ。

変わるとは、壊して生まれ変わるのでなく、受け入れてから進むことだ。

 

当たり前じゃないことを、自覚する

今回の集団生活は、大変だった。

前回も大変だったけれど、

一度経験していたからこそ、思ったことはすぐに伝えようと心がけた。

 

 

だけど、それがうまくいかなかった。

心のなかで、どこか、言葉にすれば伝わるだろうと思っていたようで、

思ったことをそのまま言っていた。

けれど、実際はそんなことはなくて、

「言ってることは正しいけど...。」と、複数人から指摘された。

言い方がきつくて、嫌な思いをさせてしまった。

 

本当に、そんなつもりはなくて、

自分のなかでは、みんなと本音で話したかっただけなのだけど、

自分の言葉を、相手がどう受け止めるかも想像しきれずに、

伝えようとしたことは、伝わってなかった。

 

それがすごく情けなくて、「何やってるんだろ...」と思って、

みんなに申し訳ないなぁって落ち込んだけれど、

でも、「ばっさー(僕のこと)が頑張ってるのはわかってる」

「あとは言い方だけだから」と言ってくれて、

その言葉が、すごく支えになって、

みんな、僕のことを認めてくれたうえで、向き合ってくれてるんだって感じて、

そういう人の存在って、「当たり前じゃないなぁ」って気付いたとき、

「ありがとう」って感謝の気持ちが、自然と生まれました。

 

「当たり前」の反対は、「有り難う」。

 

これまでたくさん聞いてきた言葉だけれど、

本気で自分に向き合ってくれる人の存在を実感したとき、

この言葉が、心にしっかりと刻まれました。

 

今回一緒にいてくれた、主催者・留学生・地域の方々。

みんながいたから、僕はまた、大事なことに気付けました。

「ありがとう」という感謝と、

今回できなかった分、「強くなります」という誓いと、

こんな僕でも、「これからもよろしく」という願いを、

関わってくれたすべての人に送ります。

 

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 お世話になった、ゲストハウスの寿一さん・美菜さん・そらくん。一番右の人は違います。

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いつも、みんなで「いただきます」。しあわせな時間。

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出会えてよかった仲間たち。また会おうね。 

 

村・留学。

素晴らしいプログラムだと、自信を持って勧めます。

何か感じた人がいれば、ぜひ。

mura-ryugaku.com

 

 

つばさ

「自然」と「人工」の境界線

 

「自然」ってなんだろう。

 

農業や林業に興味を持ち始めて、ずっと気になっていることでした。

 

どちらも自然と近い場所で暮らすと言うけれど、

実際に「自然」が何を指すのかわからない。

 

イメージでは、森や、田んぼや、渓流だけれど、

人工林もあるし、田んぼは人がつくったものだし、

護岸工事されていない川の方が珍しい。

 

林業は、木を伐ることになる。それは果たして、「自然」なのか。

農業は、土を掘り返し、人間に都合のいい作物を植える。

じゃあ、田んぼは、畑は、「自然」なのか。

 

それは、見方によっては自然破壊だ。

実際に、「農業こそ、人類が行った最初の環境破壊だ」

という意見もある。

www.foodwatch.jp

 

一方で、人間自体も自然にできたものだから、

人間がすること全ては「自然」だ、という意見もある。

 

どちらも、「そうだなぁ」と思いながら、

でも、しっくりこない感じがあったけれど、やっと納得できるものに出会った。

それを紹介します。

 

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杉だけ生える林は、「自然」か。

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日本の原風景は、戦後に区画整備された田んぼ。純粋な「自然」ではない気がする。

 

「自然」とは。「人工」とは。

 

感動するほど納得したのは、この本だ。

いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書)

 

人工とは、人間の意識がつくり出したものをいう。都会には、人間のつくらなかったものは置かれていない。樹木ですら都会では人間が「考えて」植える。

(中略)

他方、人間の体は自然に属している。身体は意識的につくったものではないからである。

 『いちばん大事なこと』(2003)、養老孟司著、集英社新書、p31-32

 

「自然」と「人工」の違いは、

人間の意識がつくったものか、そうでないかで決まる。 

 

そう考えると、世界が違って見える。

人の植えた森は、やはり人工だ。田んぼも人工だろう。

都会の街路樹も、いかに植物といえど、人工になる。

だけれども、街路樹の下の地面から生える草は、自然である。

コンクリートの隙間から芽吹く花も、自然だ。

 

逆に、人の身体は、人工のようであって人工ではない。

特に呼吸や消化器官などは、人の意識の及ばないところにある。

それは、自然の営みである。

 

すると、次に気づくことは、

「自然」と「人工」は共存しているということ。

 

都会にも、ふつふつと湧き起こる自然はあり、

自分の中にさえ、自然の存在が感じられる。

あるいは、田んぼという人工物には、カエルやタニシが棲みつき、

新たな生態系が生まれる。

まさに、「自然」と「人工」が混ざり合った環境である。

 

世界は、「自然」と「人工」が、

時間的空間的に、混ざり合い、濃淡が変わり、流動し続ける。

決して明確に分けて論ずることのできるものではない。

 

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「人工」から湧き起こる、「自然」。 

 

二項対立から、同一化へ。支配から、共生へ。

 

そもそも、「自然(シゼン)」という言葉は、明治時代までなかったという。

「nature」の訳語から、「自然」という言葉が生まれたのだ。

 

それまでは、日本には「自然(ジネン)」という考え方があった。

「自然(ジネン)」とは、その通り「自ずから然らしむ」こと。

まさに、「人の意識がつくりださないもの」である。

 

つまり、「自然(シゼン)」とは、西洋的な考え方であり、

人間と自然、この両者を分け、対立させる視点である。

それでいて、人間が自然を支配する方向へと持っていく思考である。

 

一方で「自然(ジネン)」とは、古来の日本的な考え方で、

原生林や、野生の動植物など、人間と対立する「自然」ではなく、

人間もその一部となるような森羅万象のことをいう。

 

そう考えると、いかに日常で使う「自然」や、

特に「自然保護」などと言うときのものが、

人間とは別の場所にあるもののような感覚で使っている自分に気付く。

そこで既に、乖離が生じているのである。

 

「自然(シゼン)」という言葉の納得し難さはここにあり、

本来、頭のなかから、人間と自然という分離もなく、

人間もそのなかの一部だったのだと思えば、あるべき姿が見えてくるなと思う。

 

すなわち、全ては「自然(ジネン)」の循環のなかで、

その資源を使い過ぎることなく、必要な分だけ使い、

使い終わったら、また循環のなかへと還元していく。

そんな人間の生そのものが、「自然(ジネン)」に含まれる状態。

 

まだ明確なものは見えないけれど、

一次産業も、自分の暮らしも、そこに近づけていきたいなと。

そう思いました。

 

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 生きることそのものが、「自然(ジネン)」のなかにある暮らしを。

 

納得することの多い本でした。

いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書)

 

つばさ

僕の好きなアーティスト【高橋優】

 

「高橋優」

 

好きなアーティストを聞かれたら、迷わずそう答えます。

この方の歌で、僕は一回救われたので、紹介したいです。

 

もうメジャーになったと思うけれど。

ピンと来ない方は、ダイハツのCMなら聞いたことあるでしょうか。

 


ダイハツ cm ポスト 篇 山﨑賢人

 

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この方です。

 

 

僕が初めて知ったのは。遅いんですよね。去年の秋頃。

先のCMでは聞いたことはあったけれど、それ以外は恥ずかしながら知らなくて。

 

そのときは、休学してインターンをしていて、毎日仕事ばかりすることが多くて。

それから、都内で小さいながらも、自分ひとりで企画から準備、当日運営まで、

全部を取りまとめるイベントの1週間前ぐらいで。

集客も大変だし、打ち合わせも思うように進まないし、

日中ずっと仕事して、夜も帰って家でカタカタと広報を続けてたんです。

 

泣き言を言うようだけれど、プレッシャーでずっと心が休まらなくて、

全部投げ出してやめたいなと、ふと心の中に浮かんできてしまって。

それを、一生懸命かき消しながら、手を動かす日が続いていて。

 

夜、家でも疲れてきっていたけれど、どうにか進めなきゃいけなくて、

眠気覚ましに、テレビをつけてみたんです。

 

そこでたまたま見たのが、「A-studio」で高橋優さんが出演していた回。

番組も終盤で、トークの後に歌を歌うということで、

聞こえてきたのが、『BEAUTIFUL』でした。

 


高橋優 「BEAUTIFUL」リリックビデオ

 

ひとりで見てて、心に染みてきて、泣きそうになった。

もう、画面から張りつくように聴き入り、

聴き終わったら、Youtubeを開いて、同じ曲を探し始めた。

 

今にも泣き出しそうな心が、聞いているうちに静まってきて。

まるで、あたたかい何かが、心を傷ごと包んでくれる気がした。

それから、自然と「あと少しだけ、やりきろう」と感じた。

この歌があったから、イベントもやりきることができたと思う。 

 

誰かの歌で、ここまで感動することはなかった。

誰かの歌で、ここまで力をもらうことはなかった。

 

まっすぐな言葉を、まっすぐな心で歌う

 

ここから、高橋優さんを知って、ずっと聞くようになった。

この方のプロフィールや、性格はほとんど知らないのだけれど。

(あまりアーティストの方の生い立ちは、知りたくない方なようで)

 

けれど、歌を聞いてて感じるのは、

「この人は、みんなが笑うような綺麗事も、笑われると知りながら信じていて、

同じように笑われて傷つく人を勇気づけようとする心の優しい人なんだろうな」

ということ。

 

「明日はきっといい日になる」とか

「この世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」とか

「君は美しい」とか。

 

すごくまっすぐで、すごく簡単で、

心がこもっていないと、他人事のように聞こえてしまう、紙一重の言葉を、

その言葉の通り、まっすぐに、相手の心に向き合って歌うんだなあと。

だからこそ、まっすぐな言葉が、まっすぐ心に届くんだと思います。

 

この、まっすぐさが、僕は好きです。 

 

 

せっかくなので、僕の気に入った歌、3つを。

よければ、聞いてみてください。きっと心があたたかくなります。

 


高橋優 「福笑い」

「憎しみが入る隙もないくらい笑い声が響く世界ならいいのに」

 


高橋優 「BEAUTIFUL」リリックビデオ

「ここまで来れたことが素晴らしいよ」「君は美しい」

 


高橋優初監督MV作品「明日はきっといい日になる」オモクリ監督エディットバージョン(Short size)

「思い通りの人生じゃないとしてもそれも幸せと選ぶことはできる」

 

 

みなさんの好きなアーティストは、誰ですか?

 

つばさ