つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

自由でいるためには、他人といっしょにいないとだめなんじゃないか

読了しました。

「クルミドコーヒー」影山知明さんのご著書。

 

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

 

 

前回、内容の紹介をできなかったので、今回は一番学びになったことを含めて。

tsubasakato.hatenablog.com

 

 

 

読んでておもしろいと思ったのは、「自由」の概念。

「自由」というと、

「なにかに縛られない。自分の好きにできる」というイメージだけど、

「できること」それ自体を「自由」だと考えると、自由には2種類あると思える。

 

他人と共にある自由------「大きな自由」が構想できないか。他者と関わり合うことで、自分一人では実現できないようなことが実現できるようになる。自分の「利用価値」や「機能性」でなく、「存在そのものを受けて止めてくれる他者がいることで、素の自分に戻れる場所がある

『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』影山知明著(大和書房)p196

 

自分の好きなことを好きにできる自由を、自分ひとりの「小さな自由」

他人といることでできるようになる自由は、「大きな自由」

と、表現している。

 

f:id:tsubasakato:20170627153348j:plain

これは「小さな自由」...?

 

自分ひとりでいる不自由、他人といる自由

当たり前のようだけど、自分ひとりでできることには限界がある。

それを、「自分ひとりでいることの不自由」と言えるかもしれない。

 

逆に、他人といっしょにいることで、できることはある。

というより、おそらくほとんどの仕事は、そうなんじゃないかと思う。

目に見えなくても、会社の同僚、他会社、お客さん、支えてくれる家族...。

たくさんの人がいることで、結果的にできたことがたくさんあるのだろう。

 

あるいは、よく言われる「承認欲求」や「自己実現」の欲求

これらも考えてみたら、他人がいないと満たされない欲求かなと。

つまりは、他人がいることで初めてできることだ。

だから、「承認欲求の自由」「自己実現の自由」とも言えるものは、

他人がいないと勝ち取ることができないものだと思える。

 

もっと小さく言うと、

「ひとりでいても楽しくない」とか「この人といると素の自分になれる」

というのも、「できること・できないこと」で、

他人といる自由になるんじゃないかな。

 

f:id:tsubasakato:20170627153429j:plain

みんながいるから、飛んでいけるのかな 

 

「できる」という意識から始める

いま、地域に残る「人との繋がり」とか「コミュニティ」とかが見直される中で、

一方、「そういうものって煩わしいからみんな都会に出たんじゃん」って

思ってしまうことが多い。

ただの「田舎暮らし」に戻っても、また時代は繰り返すだけだろうなって。

 

「人との繋がり」「コミュニティ」がいいものだとは思っている。 

だけど、じゃあどういう「人との繋がり」「コミュニティ」がいいものなのか。

その答えが自分のなかで全然見つからなかったけれど、

もっと「他人といる自由」に目を向けることで、

地域の「人との繋がり」が、ただ「温かい」「安心する」みたいな

漠然とした表現以上のものが見えてくるんじゃないかと。

そう思いました。

 

実際、地域のコミュニティがあることで、できてることってなんだろ。

現場に行って、見てみたいな。と思います。

 

 

つばさ

tsubasakato.blog@gmail.com