自由でいるためには、他人といっしょにいないとだめなんじゃないか
読了しました。
「クルミドコーヒー」影山知明さんのご著書。
ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~
前回、内容の紹介をできなかったので、今回は一番学びになったことを含めて。
読んでておもしろいと思ったのは、「自由」の概念。
「自由」というと、
「なにかに縛られない。自分の好きにできる」というイメージだけど、
「できること」それ自体を「自由」だと考えると、自由には2種類あると思える。
他人と共にある自由------「大きな自由」が構想できないか。他者と関わり合うことで、自分一人では実現できないようなことが実現できるようになる。自分の「利用価値」や「機能性」でなく、「存在そのものを受けて止めてくれる他者がいることで、素の自分に戻れる場所がある
『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』影山知明著(大和書房)p196
自分の好きなことを好きにできる自由を、自分ひとりの「小さな自由」
他人といることでできるようになる自由は、「大きな自由」
と、表現している。
これは「小さな自由」...?
自分ひとりでいる不自由、他人といる自由
当たり前のようだけど、自分ひとりでできることには限界がある。
それを、「自分ひとりでいることの不自由」と言えるかもしれない。
逆に、他人といっしょにいることで、できることはある。
というより、おそらくほとんどの仕事は、そうなんじゃないかと思う。
目に見えなくても、会社の同僚、他会社、お客さん、支えてくれる家族...。
たくさんの人がいることで、結果的にできたことがたくさんあるのだろう。
これらも考えてみたら、他人がいないと満たされない欲求かなと。
つまりは、他人がいることで初めてできることだ。
だから、「承認欲求の自由」「自己実現の自由」とも言えるものは、
他人がいないと勝ち取ることができないものだと思える。
もっと小さく言うと、
「ひとりでいても楽しくない」とか「この人といると素の自分になれる」
というのも、「できること・できないこと」で、
他人といる自由になるんじゃないかな。
みんながいるから、飛んでいけるのかな
「できる」という意識から始める
いま、地域に残る「人との繋がり」とか「コミュニティ」とかが見直される中で、
一方、「そういうものって煩わしいからみんな都会に出たんじゃん」って
思ってしまうことが多い。
ただの「田舎暮らし」に戻っても、また時代は繰り返すだけだろうなって。
「人との繋がり」「コミュニティ」がいいものだとは思っている。
だけど、じゃあどういう「人との繋がり」「コミュニティ」がいいものなのか。
その答えが自分のなかで全然見つからなかったけれど、
もっと「他人といる自由」に目を向けることで、
地域の「人との繋がり」が、ただ「温かい」「安心する」みたいな
漠然とした表現以上のものが見えてくるんじゃないかと。
そう思いました。
実際、地域のコミュニティがあることで、できてることってなんだろ。
現場に行って、見てみたいな。と思います。
つばさ
tsubasakato.blog@gmail.com