私は生きていけない 〜初の船上日誌〜
2016年4月某日、山形県鼠ヶ関沖の船に私はいた。
長野県で生まれ育った私は漁船など乗ったことはなく、人生初の経験であった。
深夜出航した船は波に揺れながら暗闇を進む。
海の上にいる。
その感覚に深い感慨を覚えていたが、
30分と経たずにそんなものは暗闇の彼方へ消し飛んだ。
人生初の本気の船酔いは想像の遥か上をいった。
胃の中が空っぽになるまで吐き続けた。
それで吐き気が消えればいいのだが、一向に収まる気配がない。
吐くものがないまま、暗闇に向かって私は嗚咽を繰り返した。
夜が明けると吐き気は次第に落ち着いたが、胸の気持ち悪さは残り続ける。
寝転がっていればなんとかなるが、立ち上がることができなかった。
太陽が燦々と照りつけ、ウミネコの糞の雨が降り注ぐなか、
私は心を無にし続けるほかなかった。
その横では乗せてくれた漁師たちが紅エビを繰り返し獲っていた。
船の上空を、ウミネコは絶え間なく飛び交う。クゥークゥーと、鳴く声は響く。
私が再び地に足を着けたのは昼過ぎ。
半日以上の乗船時間は、乗っていたときは永遠にも感じられたものだが、
降りてみるとほとんど何も覚えていなかった。
真っ黒に焼けた顔と肩についたウミネコの糞だけが、
私が船に乗っていたことを証明してくれた。
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2016年4月より私は『東北食べる通信』の発行元、
上記はインターンシップが始まった直後、初めての船上取材での事である。
この他に多くの生産現場に足を運び、生産者の話を伺う貴重な機会に恵まれた。
それまで私は野菜がどうやってできるのか、魚はどうやって獲っているのか、
そういったことを知る機会もなく、また知ろうともしなかった。
一方で学業は自分なりに頑張り、京都大学に入学した。
しかしそこで形成されてきた「自分は優秀だ」という恥知らずな自意識は、
(言葉では謙遜しながらも内心は喜ぶ自分の感情は否定できない器の小さい人間だ)
土や海や農家や漁師に完膚なきまで叩きのめされることになる。
海の上に放り出され、何もできない私は自分の無力さを痛いほど感じた。
そのつらさは耐えられるものではなく、吐きながら泣き叫んだ。
正直、本当に少し泣いていた。
この経験を経て、私は農家や漁師、自然を相手にしながら生活する人々に、
そして土や海(特に海だ)に、心から尊敬の念を抱くようになる。
京都大学だと伝えて相手から「すごいね」と言われると、
前まではまんざらでもなく思っていたが(やはり器が小さい)、
それ以来本気で否定したくなった。
私は海に出て、魚一匹獲ることもできないのだ。
そして実感した。
いま農家や漁師の人々がいなくなったら、私は生きていけないのだ。
開始30分でこれ。そしてこのまま5時間。
でも、この経験が、いまの僕のひとつの原点とも言えるものです。
つばさ