つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

「弱さへの共感」が生む「被害者」意識 / 新たな「原体験」を積み重ねること

 

熱量のある人に、憧れていた。

いきいきと、人生を楽しんでいるように見えた。

 

いつも明るい人が、羨ましかった。

その人がいるだけで、雰囲気が明るくなる。

なんて素敵な影響力を持った人だろうかと感じた。

 

 

僕もそんな人になりたいと願ったけれど、

なかなか近づくことはできなかった。

 

どうしてだろうかと思いながら、時を経て、

憧れた人たちと接していくなかで、ひとつ、気付いたことがある。

 

それは、 

輝いて見える人ほど、その心の内に影を抱えていること。

過去に、あるいはいまでも、苦労をしながら、

それでもなお、前を向き、生きようとする姿に、心を惹かれていたこと。

 

普通の人生を送ってきた僕(と自分では思ってる)には、

他人の激動の人生が、衝撃的だった。

 

 

すると今度は、その原体験が羨ましくなった。

もちろん、人の苦労を知らないまま、

それを肯定してしまうのは、失礼極まりないけれど、

自分にはないものを持っているなぁと感じたのは事実。

それから、自分を突き動かす衝動を探し求めるようになる。

 

 

これは、就活が重なったからのようにも思う。

就活では、とにかく自分の「原体験」を求められる。

企業は、あなたの本気度や持続性を評価したいからだ。

だからこそ、就活ではまず最初に「自己分析」を行い、

徹底的に自分の過去を掘り下げる。

 

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そうして、この時期に僕の書いた文章のひとつがこれ。

加藤 翼 - 【僕は、弱い人間】... | Facebook

 

 

この場、この瞬間の思いに、嘘偽りはまったくないし、

過去の自分の思いを否定するわけでもないけれど、

今読み返すと、まぁ、書きすぎだなと思う。

自分の弱さだけを、前面に押し出してるから。

 

 

「弱さへの共感」が生む「被害者」意識

 

でも、最初はこれだけでもいいんだけど、

(自分で言うのもなんだけど、共感してくれる人も少なからずいた)

そのうちまた、壁にぶち当たった。

 

「弱さ」への共感ばかり集めていると、

それを克服してしまったら、共感してもらえなくなるんじゃないかと、

怖くなってきて、自分を変えられなくなるのだ。

 

なぜ怖いかと言えば、

やっぱりその「原体験」が「自己分析」を通して、

理屈で考えて導き出したものだからだと思う。

原体験は、きっと、もっと衝動的だ。

 

そして僕は「被害者」であることをやめられなくなる。

「弱さへの共感」が自分にとって、一時的な「慰め」みたいになり、

それを断続的に感じなくては、不安でいられない。

だから「自分はこんなにも弱いんだ!助けて!」と、

あたかも何かの被害者かのように発信し続ける。

そんなイメージ。

 

 

「原体験」を、創り出す

 

これに気付いて、ここ最近僕は「被害者」意識から脱却しようとしている。

どうすれば、抜け出せるのか。

まだ実践途中だけれど、3つほどその方法をあげておきたい。

 

 

①「弱さへの共感」を「ビジョンへの共感」へ

 

詰まるところ、大部分の共感とはストーリーだと思っている。

そしてストーリーとは、挫折からの再挑戦である。

 

そう考えると「弱さへの共感」に足りないものは、再挑戦への道筋だ。

つまり、弱さを克服する意志と、克服した後に描く未来、

そのビジョンを少しずつでも形成していくことで、

「慰め」に感じていた共感は、自分にとってかけがえのない「応援」へと変わる。

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②「原体験」を、いまからつくる

 

僕にとって、自分の過去から原体験を探し出すのは難しかった。

「人生かけて成し遂げたい」と思うほどの強い熱量を生む体験など、

いくら考えても、出て来なかった。

 

一方で、いま、僕がなぜ熱量を持てているのかと言うと、

休学したときに巡った一次産業の現場、畑や海での経験が大きい。

あるいは、単に「森が好きだ」という感覚が大きい。

 

そう考えると、無理に過去から「原体験」をつくり出さなくても、

焦らずいまから、自分が心惹かれるものを見つけ出すことで、

新しい「原体験」を積み重ねていけるのではないか、とも思うのだ。

 

このとき、新たな「原体験」を積み重ねることは、

自分の心動くもの、好きなものを探していくことと、同じ意味になる。

 

 

あるいは、視点を変えてみれば、

僕や僕の世代の人たちが「やりたいことがない」「原体験がない」と嘆くのは、

「好きなものを選ぶ」ということを、良しとされなかったからのようにも思う。

小中高、学校を通して教えられたのは、

「周りと協調できる、自立・自律した人間」になることだったと僕は感じるから。

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③憧れ・羨望から、距離を置く

 

結局、元をたどれば、僕が他のひとに憧れたことが事の始まりだった。

いまでも、憧れる人はいるし、羨ましいと思うことは多い。

それを決して悪いものだとは思わない。

僕の目指すべき方向性を示し、成長させてくれることもあるから。

 

だけれど、他の人になろうとしてはいけない。

どう頑張ってもなれないだろうし、

評価軸を完全に外に持ってしまうと、自分を見失ってしまうからだ。

 

憧れや羨望。

それもまた、自分の素直な感情だから、それを否定することなく、

適度な距離を持って、自分の道を進むこと。

だからこそ、自分の好きなものを、積み重ねていくこと。

まずは、それが大事なのかもしれない。

 

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焦らず、ゆっくり、好きなものを。自分の心に寄り添って。

 

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書いてきたブログのなかで、一番自分勝手な文章だなぁと感じながら、

今回は、誰かに向けてというよりも、過去の自分への自戒を込めて。

書き記しておきます。

 

つばさ