つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

本屋の構想ーーー「儲かるからやること」は、誰かがすでにやっているんだ。でも、それだけじゃつまらないじゃん。

本屋を開く。

最近、時間を割いていること。

 

だけど、実際は「本屋」からイメージできるほど、

大きなものじゃなくて、

借家の縁側を少し拡張して、

四畳半のスペースに本を並べて、

「本屋」と名付けようと思ってる。

 

組織に属して、林業に携わるから、

本屋に立っている時間も少ない。

けれど、本を選んでいるとき、

店員がいると本に集中できない僕としては、

「そもそも本屋に店主っている?」

と感じているので、

無人本屋にでもしようと思っている。

 

(特に小さな本屋で、店主からずっと見守られていると、

何か会話しなきゃいけない気がしてくるし、

恥ずかしくて同じとこをずっとぐるぐるできないし、

ということが気になってしまう人間なので、

本屋を開くと言いながら、

僕自身は、あんまり小さな本屋に行かない笑。

ブックオフや新刊書店のほうが好きだ)

 

店主の意味は、「選本」。

それがほとんどだと思う。

けれど、そういう人ばかりでなく、

本屋で、店主と本に関係あること、ないことを話しながら、

本を見るのが好きな人もいるだろうから、

そういう人には、事前に連絡をしてもらうとか。

そんなことを考えている。

 

とか言いながら、

実際に店にまで来る人はいると思っていないから、

ときどき土日にマルシェとかで出店できたら

たのしいだろうなぁと。

僕の中でも想像ができるから、

そっちの方が最初はメインになると思っている。

f:id:tsubasakato:20180623192533j:plain

f:id:tsubasakato:20180623192128j:plain

「縁側本屋」みたいなの、いいな。

 

---------

「本屋」という店を持とうと考えたとき、

「どう回していくか」という収益性をやっぱり考えたけれど、

現時点で、本屋単体で収益を上げることは

ほとんど考えていない。

それよりも、自分のやりたいことに、挑戦してみたい。

 

「お金よりも~」みたいな話をすると、

「現実はそんなに甘くない」

「お金がなきゃ、やってけない」

みたいに言われるかもしれないけれど、

(実際には言われたことないけど、今でも思う人はいるのかな)

僕もそれはわかっている。

実際に、自分で稼ぎ始めて数ヶ月。

まだまだだと言われれば、そうかもしれないけれど、

人から言われて、「そうなのか」と納得できるほど、

僕は、素直じゃない。

結構、頑固な方だと、自分でも思っている。

 

 

僕は、お金をたくさん稼ぐよりも、自分らしく生きたい。

だから、「自分らしく生きる」ためのお金さえあればいい。

そう考えると、「本屋」が単体で継続できることはどうでもよくて、

「加藤翼」の生活が、その経済が回っていれば、それでいい。

 

そもそも、お金がたくさん稼ぎたければ、

都会の大手企業に就職している。

(都会の大手企業に就職する人が皆、

お金を稼ぎたいと思っていると決めつけているわけではないです)

でも、僕は、

仕事と暮らしを分けたくなかったし、

自分のすべての行動を「生きる」ことと結びつけたかった。

食うために働くのではなく、

ましてや、働くために食うのではなく、

生きるように食べ、

生きるように働き、

生きるように眠り、

生きるように暮らす。

いい意味で、公私混同させたかった。

総じて、「生きていたい」と思った。

 

「儲かるからやること」は、誰かがやっている。

「儲からないけど、好きだからやること」に、自分らしさが出る。

そう思っている。

 

と、いう訳で、

生きるように、本屋を開きたいと思ってます。

まずは、7月末に出店してくるので、

それまでに開けたらいいなぁ。

第5回 ELEVEN VILLAGE 文化祭キャンプ (7/28,29 @岡山県高梁市

興味のある方、よかったら温かく見守ってください。

 

つばさ

「消費」の楽しみ、「生産」の愉しみ

鳥取県智頭町へ引っ越してきて3ヶ月ほど。

いろいろつくってみた。

 

味噌、ハーブ畑、梅シロップ、

洗濯物干し場、生ゴミコンポスト

木のしゃもじ、木の栞、木のブックスタンド、木の小鉢。

いまは畑にいろいろ植え付け中。

 

f:id:tsubasakato:20180612215235j:plain

洗濯物干し場。伐ってきた竹と紐で、完成。

f:id:tsubasakato:20180612215248j:plain

ダンボーコンポスト。料理で出た生ゴミを堆肥に変える。

f:id:tsubasakato:20180612215301j:plain

杉を掘ったしゃもじ。二作目を鋭意製作中。

f:id:tsubasakato:20180612215302j:plain

植物を入れる小鉢。穴開けるの、すげえ大変。

f:id:tsubasakato:20180612215927j:plain

植え付け中の畑。いまは右奥一畝だけ完了。

 

田舎は、都会のような便利なモノは多くない。

コンビニ、ショッピングモール、カラオケ、飲み屋などなど。

それらを求めるなら、都会の方がいいに決まってる。

それは事実だと思う。

 

じゃあ、田舎はどうやって人を呼ぶのか。

それは「便利さ」という軸から外れることだと思っている。

 

都会の便利さとは、「消費」の楽しみだ。

お店が多い。それはつまり、お金を払って受けられるサービスが多いということ。

逆に言うと、お金がなければ楽しくない。

高級なお寿司屋さんも、高級なアパレルショップも、買えなければ楽しくない。

 

だからこそ、田舎は「生産」する愉しみを打ち出すべきなんじゃないかと思っている。

近くの竹林で、竹を伐ってこれる。

広い畑を借りて、農作業ができる。

木材と道具をもって、木工品づくりができる。

 

田舎にとっては当たり前のようで、この環境は価値だと感じている。

都会では、農業するには、年数万円を払って体験農園をするし、

モノづくりをするための材料も揃いがたく、

そもそもDIYできる家に住んでいなかったりする。

 

人とサービスに溢れる都会だからこそ、

一人一人のスペースが狭く、つくるための「余白」が少ない。

一方で、田舎では土地も家も余り、材料は周りにあふれている。

もちろん田舎は田舎のルールがあるけれど、

「余白」は田舎の方が圧倒的に大きい。

 

そう考えると、都会の方が「自由」ということも見方次第で、

田舎の方が「自由」だと感じる人も多いのかもしれない。

 

 

だから、僕は「都市」と「地方」というわけ方も好きじゃなくて、

僕の生まれ育った長野市も、十分に便利な街だったし、

「都市」と「地方」は、ただ首都の東京とそれ以外、という程度の

違いしかないのだなぁと、ある時思うようになった。

 

また、「地方創生」の名の下で、

企業や大型施設を誘致するのは、

「便利さ」のモノサシの中で、東京と張り合うことになるから、

「地方」の衰退の根本的な解決にならないんじゃないのかなぁと思うようにもなった。

 

 

もっと田舎の村や町が、

「自分の暮らしをつくること」に目を向けて、

「この村に来れば、こんな暮らしができる」というのを明確に打ち出して、

その余白を、環境をつくることが、田舎の行政がやるべきことで、

それができたところが生き残っていくんじゃないかなぁと。

 

 

「まちづくり」なんて、やったことないし、

そんなに興味がないから、簡単に言えるのだろうけれど。

約3ヶ月の日々を、そんな風に思いながら暮らしてます。

たのしく生きていきたい。

 

つばさ

行動に「勇気」は必要ない

今回のテーマは、ここから引用しました。

他にも「なるほど」と感じる視点がたくさん。

興味ある方はぜひ。

 

 

筆者・キングコング西野さんはこう述べる。

行動することに、勇気は必要ない。

子供の頃に一人で乗れなかった電車に、今、あなたが一人で乗れるようになったのは、あなたが勇気を手に入れたからではない。

「電車の乗り方」という情報を手に入れたからだ。

・・・

一歩踏み出すために必要なのは、ポジティブシンキングではなく、ロジカルシンキングだ。

説明できてしまう事柄に「勇気」は必要ない。

西野亮廣著『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』 幻冬舎 p.300-301 

 

自分の話をすると。

「よく(林業をすると)決断したね」と言われるけれど、

自分のなかでは、自分の経験から、論理的に考えただけのように感じている。

「こういう経験をして、こう考えたら、林業にいき着くでしょ」みたいに。

 

大学生のとき、学生団体で活動して「仲間とつくること」の喜びを知った。

仲間がいなければ、僕はどこか物足りないのだと気付いた。

だから、自分をしあわせにする「人」を大切にしようと思った。

 

そう思うと、都会ではなく、地方に目が向いた。

「コミュニティ」を考えるならば、地方の方が良いと思ったから。

そこで、地方で活動する人に会うなかで、「東北食べる通信」に出会った。

その代表の思いに共感し、休学をして、1年間東北の農漁村を回った。

 

最初は「コミュニティ」のあり方に興味があったけれど、

畑や海を回り、農家・漁師の方に話を聞くなかで、

「食」や「自然」への関心が強くなった。

目覚ましい経済成長の裏で、衰退していく一次産業と自然環境を身体で感じたからだ。

 

「コミュニティ」も大事だけれど、その前に、持続可能な環境にならなければ、

これからもっと厳しい世の中になるのではないか。

そして、持続不可能な社会の根本には、

とどまることのない消費社会があるのではないか。

1年間で、そう学んだ。

 

それから『森は海の恋人』という本を読んで、

「森」というものが自然の循環の重要なファクターの一つだと感じ、

目が向くようになった。

 

復学後、大学4回生。

そのときも最初は「林業をする」と覚悟を決めていたわけではなく、

チェーンソーを持ったこともなければ、木を伐ったこともない。

そもそも何を指して「林業」というかもわからない。

自分のなかで、たくさん迷いはあったけれど、

まず県の林業研修に参加し、林業についての講義を受け、

実習を通して初めてチェーンソーに触り、講習を受けて資格を取った。

 

それから、実際の現場を見に行こうと、見つけた機会に飛び込んで、

人に会って「林業に興味がある」と話し、

そこから紹介してもらったところにメールを送り、

足を運んで話を聞き、受け入れてくれるところで、研修をさせてもらう。

 

自分の体験を積み重ねて、本当に、自分は林業がしたいのか問い続け、

半年以上かかって、ようやく決断した。

 

 

もちろん、いつだって迷いと不安はあって、

メール送るのも、人に会いに行くのも、

少しばかりの勇気は必要だけれど、

小さな挑戦を積み重ねて、自分の体験を積み上げて、

大きな決断へとのぼっていった。

僕のなかでは、そんな感覚が残っている。

  

変わり続ける現代。

「就職」という大きめの決断をするのに、悩むのは当たり前。

でも、悩みがあるというのは、疑問があるということだ。

「こっちを選んでいいのだろうか」

「こっちの方がいいんじゃないだろうか」

ただ、そう感じたのであれば、

その疑問に対する答えを、自分で見つけに行こう。

疑問や、違和感、その感じ方こそが、あなたの個性なのだから。

それを周りに合わせ、なあなあにして、

自分なりの答えを持たずにいてしまうと、

「自分らしさ」が失われていく。それも気づかぬうちに。

そしていつの日か、何も言えない自分に気づくのではないだろうか。

 

f:id:tsubasakato:20180525190854j:plain

ひとつひとつ、階段をのぼろう。

 

挑戦するのに、勇気は要らない。

挑戦への階段を、自分でつくること。

そのために、自分の心を大事にすること。

それが大事かなと思いました。

 

つばさ