生きる「意味」とはなにか。「意味」の意味とはなにか。
とても心に残っている話があります。
一度しかお会いしたことないし、軽くお話を伺っただけ。
けれど、そのなかでお聞きした話は、なぜか僕の基盤をつくってる。
京都にある「サムライカフェ&バー 士心」のオーナー、浜村さんから伺った話。
それを僕なりの解釈を交えて、書きます。
「意味」の意味ってなんだろう?
みんなはよく、「生きる意味」を悩んでる。
じゃあ、「意味」の意味ってなんだろうか。
哲学的な問いで、聞かれたときは質問の意味がまったくわからなかった。
けれど、お話を伺っていて、
「意味」の意味とはつまり、なにがあると「意味」が生まれるのか。
なのかな、と僕は思った。
例えば、目の前にリンゴがあったとする。
これは、もし周りにまったくなにもなければ、リンゴになにか意味はあるか。
おそらく、何の意味も持たない。
これが、
もし、リンゴと机があったら。「リンゴが机の上にある」という「意味」ができる。
もし、リンゴを床に落としたら。「床に落ちてリンゴが割れる」という「意味」ができる。
もし、リンゴを人が食べたら。「人がリンゴを食べる」という「意味」ができる。
つまり、意味とは「関係性」であり、他の何かとの関係でしか「意味」は生まれない。
これを人に置き換えると、
人の生きる「意味」は、自分以外の誰か、あるいは何かとの関係のなかで生まれる。
言い換えると、人がなにかと関わりを持ったとき、意味が生まれる。ということだ。
「意味」のない人はいるのか。
そう考えると「生きる意味はない」というのは、本当か。
そんな人は絶対にいなくて、
生まれた瞬間、人は
「空気を吸い」「水を飲み」「他の命を食べる」。
「親」を持ち、「祖父母」を持ち、「先祖」を持つ。
外界と関わることもそう。
誰かと縁を結ぶのもそう。
それらすべては、自分以外との「関係づくり」であり、「意味」がある。
となると、「生きる意味はない」なんてことはない。
これまで自分が過去何十億年と築いてきた「意味」を整理すれば、
自分の立ち位置や役割がわかるはずなのかもしれない。
(口で言うのは簡単で、僕もまだ整理できているわけじゃないのだけど)
「生きる意味が見出せない」というのは、
「意味」がない状態じゃなくて、
「関係性」がまったく整理できていない状態なのかもしれない。
別の観点で言うと、
関係性が「意味」になるのならば、
まだ関係性を築けない「未来」には「意味」はなく、
「過去」と「現在」の関係性からしか、「意味」は見出せないのかもしれない。
未来の「やりたいこと」がない人たちは、
まだ関係性を持っていないものと、
新たに、自分の考えだけで関係を持とうとしているから、大変なのかもしれない。
「やりたいこと」がない人たちは、
それまで関係を持ってきた「過去」、そこから生み出された「現在」の自分。
それを見つめ直したら、報いるべき恩のようなものが見つかるのではないだろうか。
僕自身、この考えを心から理解できているわけじゃないと思う。
だけど、この話を聞いたとき、自分のなかに衝撃が走った。
なぜかは、深くわからない。
けれど、今もなお心に残っている話で、
なにか大事なことなのかなと感じる。
だから、自分が、誰と、何と、関係を持って生きるのか。
それを大切に、丁寧に、考えながら、生きていこう。
そう思うようになりました。
この言葉と、同じなのかな。僕のブログのテーマ。
だから、なにかを感じるのかもしれない。
「生きるっていうのはね」
「・・・」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
つばさ