つばさの軌跡

京大卒。新卒の2018年春、鳥取県智頭町に移住し、社員2名の林業会社に就職。林業家を志す。働くこと、食べること、寝ること、話すこと、住むこと...。自分の人生の時間を分けることなく、暮らしの所作、その一つ一つに丁寧に向き合って、精一杯生き抜くことが目標。

日本は多様化してるのか? 「就活」という言葉の狭さ

昨日の「多様性」「画一性」の話に関連して。

 

これだけ個人主義自由主義の国になって、

「これからは一つの企業に一生いるのは当たり前じゃない」

「もっと個性、個人のスキルを伸ばさないとダメだ」

と、言われ続けました(と、僕は感じているのですが)。

多様な生き方、自分らしい生き方を奨められたのでは、と思っています。

けれど、実際日本はまだ一人一人が個性のある国になってる気がしないのです。

 

日本の「就活」はもっと多様でいいと思う

すごく違和感を覚えるのが、時期も時期なので、就活。

ひとりひとり自分の個性を出せ、アピールしろと言われるのに、

就活を始める時期も決められて、

みんな同じような就活サイトから応募して、

同じようなES、筆記試験、インターンを受けて。

そもそも就活の方法に、多様性を感じません。

 

最近困るのは、「就活してるんですか?」という質問。

農業や林業の職に就くために、

企業の人に会いに行ったり、

研修に行ったりしてるのだけど、

聞く人のイメージする「就活」はしていないのです。

「就活」がいかに画一的なイメージで語られているかを感じました。

  

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高知での林業研修。高知の山は荒々しくてかっこよかった...。

 

また別の話。

2年前、3回生の夏に、「就活」してて思ったのは、就職先が本当に都会ばっかだったってこともあります。

地元の長野への就職先を探そうと思って、リクナビで「勤務地:長野」で調べたら、驚くほど少なかったのを覚えてます。

普通に「就活」をしていたら、みな、流れで都会に行ってしまうなと思いました。

これも「就活」の多様性を感じさせないところでした。

 

一番好きじゃない言葉

Facebookとかで出てくる、「就活」の広告。

そのなかで一番いやなのは、「スタートダッシュで、同期に差をつける」

なんか、もう、受験の延長上でしかない気がしていて、短距離走を連想させる。

 

この言葉だと、モノサシが一つしかない気がする。

スタートラインとゴールテープが決められているように思える。

なんで、同じトラックの上にいることが決められているんだろう。

20年余りの年月を過ごしてきたんだから、すでに人とは「差」がついているだろうに。

そんな感覚になってしまうので、このワードは好きじゃない。

このワードで、就活生を不安にさせようとするのも好きじゃない。

 

いつまで、一つのモノサシで、人を測り続けてるんだろう。

そんな風に思う。

 

「就活」に賛否はあるけれど

就職って、これから自分の人生を歩んでいく大事な一歩なのに、

入り口があまりにも限られていて、視野が狭まってしまうことがあるんじゃないかなぁと。

これでいいのかな。と感じています。

これでも一昔前の「集団就職」に比べたら、多様になってきた方なのだろうか。

 

あれこれ言ったけど、純粋に、もっと一次産業のほうに興味がある人にも会いたいなぁ

っていう裏返しなのかもしれません。笑。

引き続き、がんばります。

 

 

つばさ

tsubasakato.blog@gmail.com